[80]サンチャゴ・デ・コンポステーラ Santiago de Compostela (in Spain)

投稿日時:2018年12月25日  タグ:なし
末永 輝清·2015年12月25日金曜日表示11件(facebookより移行)
私にとっては、あっという間の2年間、3年に編入した学部の頃まで遡れば、あっという間の4年間でした。
まだまだ修士論文(大学院)を充実させたいので、除夜の鐘後の2016年(平成28年)も引き続き学術論文に取り組みます。
私は2012年(平成24年)4月に63歳にして、国際関係学部がある大学の3年への編入試験に臨み、合格後2年間かけて約5万文字の卒業論文に纏めたことがありました。
そのテーマは、1993年(平成5年)7月つまり私が44歳以降の20年間にわたり、ロータリーの創始者ポール・パーシー・ハリスの足跡と何故世界組織まで拡大したのか に取り組んできた 国際ロータリー(Rotary International)の誕生 でした。
そして、2014年(平成26年)3月に65歳で卒業と共に、同大学で知り合った先輩の影響を受け大学院を受験、合格後2年間かけて修士論文に取り組んでいるところです。
そのテーマは、2008年(平成20年)私が59歳の頃、当時81歳だった私の母と同居を始めて以来世界一周旅行を2度、私の妻とは1度の世界一周旅行を始めとする、高齢化社会における家族の介助による高齢者の旅行に関する課題研究に取り組んできたことでした。
いずれのテーマも、その研究者がおられない分野だということが分かり随分苦心しました。
修士論文の場合は、特に家族による車椅子の母親を伴っての世界介助文化交流静養旅行に関する先行論文や参考資料が皆無の関係で指導教授の意向もあり、止む無く途中で 観光産業の発展と世界遺産についての一考察 に変更することになりました。
そういった大学院の2年という研究期間を経て、今2015年(平成27年)年が暮れようとしています。私は早生まれなので間も無く67歳に到達します。
2015年(平成27年)12月25日(金曜日)66歳のクリスマスの日は、今年最後のしかも数十年ぶりという幸運の満月でした。
その3日前の火曜日の大学の駐車場から見えた月は、透き通って無彩色に近くて幻想的で印象に残っています。
今晩のクリスマスの満月は、太陽の反射が強く清く輝いていました。因みに私の名前は輝清ですから、余計に嬉しい光景でした。
そして、それはイエス・キリスト誕生の光のようにも思えました。
また、今から60年も昔の私の保育園時代 お遊戯会「かぐや姫」の記念写真を思い出しました。私(末永輝清)は、そのお爺さん役でしたから尚更です。
イエス・キリストといえば、私は以前にキリスト教三大聖地(巡礼地)を訪ねたことがありました。
最初は2001年(平成13年)8月 (52歳の時) バチカンへ妻と共に、
そして 2010年(平成22年)6月 (61歳の時)エルサレムヘ妻と共に、
最後は2013年(平成25年)6月 (63歳の時) この写真のサンティアゴ・デ・コンポステーラ。
この写真のサンティアゴ・デ・コンポステーラは私の妻の母親が入院中故にその看病の為に私の妻を山口県に残して 私一人で訪ねました。しかし、先程気付く迄、そのことを忘れていました。
従って、このサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂の写真は、何を置いてもUPせずにはおれませんでした。
ここは、世界遺産に登録されているサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の終着地であり、
キリストの12使徒の一人の聖ヤコブの墓地に建てた修道院を中心に発達したところでした。
 
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サンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)は、スペインのガリシア州ア・コルーニャ県の都市で、ガリシア州の州都。コマルカ・デ・サンティアーゴに属する。
ガリシア統計局によると、2012年の人口は95,671人(2010年:94,824人)で、州内ではビーゴ、ア・コルーニャ、オウレンセ、ルーゴに次ぐ5番目の人口規模の街。
サンティアゴ・デ・コンポステーラには自治州政府(シュンタ・デ・ガリシア(ガリシア語版))が置かれ、ガリシア州の政治の中心であると同時に、宗教的には大司教座が置かれている。旧市街は1985年にUNESCO世界文化遺産に登録、ガリシア語話者の自治体人口に占める割合は35.92%(2011年)。
 
【概要:文献より編集】 サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂は聖ヤコブの遺骸が祭られているため、古くからローマ、エルサレムと並んでキリスト教のカトリック教会で最も人気のある巡礼地で世界中から巡礼者が絶えないようです。
巡礼の街道では巡礼者は、その証明に帆立貝の殻を荷物にぶら下げ、途中 教会などが宿泊を提供してくれるようです。最後のコースは、地面に古切れなどを敷きながら膝だけで歩いていく熱心な信者も多いそうす。
聖ヤコブはガリラヤ湖の漁師で、弟のヨハネと共にイエス・キリストに従ってヒスパニアにおいて布教活動を行い、エルサレムに帰還後ヘロデ・アグリッパ1世によって断首され十二使徒のうち最後の殉教者といわれています。
その遺体を弟子二人が石の船に乗せ海を果てしなくさまよった末に本市付近に辿り着き、埋葬したのが紀元1世紀半のことといわれ、これが聖地の起源だそうです。
伝説では、9世紀に星に導かれた羊飼いがこの地で聖ヤコブの墓を発見し、遺骨を祭った聖堂が建てられ、そこにこの教会が作られ、これがサンティアゴ・デ・コンポステーラの町の起源とされ、町の名はラテン語の「Campus stellae」(星の野)あるいは「Compositum」(墓場)にちなんで名付けられたそうですが、民間語源の域を出ないものとされています。
ガリシアは非常に地名が多いため、地名研究がガリシア語学の重要な研究分野になっており、それによると、Compostelaの語源は、ラテン語のCOMPOSĬTAに示小辞ĔLLAが付いたものであり、意味は「良い場所」、つまり、「サンティアゴにとって良い場所、ふさわしい場所」、旧市街は世界遺産に登録。
7月25日はサンティアゴ(聖ヤコブ)の日で、6年、5年、6年、11年という周期で起こり、カトリック教会ではこれらの年を「聖年」、「聖ヤコブの年」と定め、旧市街を中心に祭りが盛大に行われ、またこれらの日はガリシアの日(ガリシア語版)でもあるようです。
巡礼が盛んだった中世、信者を強く惹きつけたのは聖遺物と呼ばれるイエスや聖人にまつわる遺品であり、聖遺物には奇跡を起こす力があると信じられたようです。聖ヤコブを祝うミサ、重さ90キログラムの香炉が人々を清め、巡礼者は辿ってきた長い道のりを振り返り、聖地に導いてくれた神に感謝するようです。
またサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学はスペイン有数の大学で、ガリシア地方で最も伝統ある大学で、キャンパスはサンティアゴ旧市街を挟み南と北にあるほか、ルーゴにもあるそうです。学生数はおよそ3万人で、これらの学生の多くは市の人口9万人には含まれていないというサンティアゴは、宗教都市・観光都市・学生の街・州行政の中心でもあるという異なった顔を持つ街でした。
ここへの巡礼をテーマにしつつ神の存在を歴史の時間軸を行き来しながら描いたフランス映画で、「銀河 (La Voie lactée)」(フランス・イタリア合作で、ルイス・ブニュエル監督、1968年)があるそうです。「銀河」は、このサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の道のことを銀河(天の川)に例えたようです。
サンティアゴを中心に近隣の自治体アメス、ボケイション、ブリオン、テオ、バル・ド・ドゥブラ、ベドラとコマルカ(県と市の中間単位、コマルカ・デ・サンティアーゴ)を構成しています。