[95]マチュ・ピチュ Machu Picchu 

投稿日時:2017年06月28日  タグ:なし
2006年(平成18年)8月, I went to Machu Picchu in Peru with my wife. When I was 57 years old.
🔶(FB会話より移行=1)末永 輝清→ MTさん nice. 昔、ここマチュピチュを訪ねた頃を今、懐かしんでいます。 2015年6月27日 5:00
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Ma….Tu….→ Terukiyo Suenagaさん マチュピチュ、行かれたのですね~。でも行ける時に行けてよかったなぁと思います。ワイナピチュ登山は規制がかかって登れなかったので(ノ´∀`*)2015年6月28日 0:36
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末永 輝清 →MTさん ワイナピチュ登山!・・2006年8月のツアーだったので断念しました。クスコから日帰りでした。
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2008年6月メキシコ,テオティワカン,太陽のピラミッドの時もそうでしたが、この写真の眞利子さんの様に外人は腰を下ろしている人が多くて印象的でした。日本人ツアーだと精神的にそんな余裕がありませんでした。
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チチェン・イッツアのククルカンのピラミッドも既に規制がかかって登れませんでした。
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2009年8月のエアーズロック(オーストラリア)登山した時も、アボリジニの聖地を踏みにじるかのように 観光者が転落して死者が出るし、時が経っても土に還らない材質のペットボトルを岩石の隙間に落としてしまったり・・で、間もなく規制がかかって登山出来なくなると現地ガイドさんが話していました。
少数民族といえば、多数派および国民国家との関係は多種多様で、クルド人のように、国家を持つ程の人口を抱え、また特定地域では多数派を占めているが民族国家を持たずに独立紛争を起こす場合もあるように、多くの人口を誇りながらまとまりを欠くミャオ族のように、各国の多数派民族の影響下で共存していくこともある現実です。

私自身が世界旅行で訪ねたところでさえも、先程のオーストラリアにおけるアボリジニなどをはじめ、日本におけるアイヌや沖縄、中国における満州族やチベット民族、アフリカにおけるマサイ族など、北米におけるインディオなど、南米におけるインカ族などのように、地球には数え切れない程のマイノリティというか少数派民族が、多数派民族の圧倒的影響力によって、その独自性というかその大切な希少文化を失いつつある民族もある一方、

イスラエル建国以前のユダヤ人のように、多数派の民族に同化されず独自性を保ち、少数派であっても強い社会的影響力を持ってきた少数民族もあるようです。

先住民が少数民族として国民国家の一角を占めているケースは多く、支配的民族とは別の文化や歴史と一緒に「異教的」「野蛮」として排斥されてきた経緯後 近年 保護意識されはじめてきたが、その失われつつある独自文化の担い手が現れにくい社会背景の問題が生じています。

かつて、ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen1805年4月2日デンマーク=ノルウェーオーデンセ ~ 1875年8月4日デンマークコペンハーゲン/70歳/児童文学,紀行文学/マッチ売りの少女,醜いアヒルの子,裸の王様,人魚姫,親指姫,即興詩人)の処女作『徒歩旅行』で彼が語っているように、私も 旅行こそが人生の学校のように思えてなりません。

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2010年5月の屋久島(霧島屋久国立公園)の樹齢8000年といわれる縄文杉を目指しての登山の時も、木の近くには行けない様に柵がありました。 間もなく、人が押し寄せる観光地は遠くから眺めるスタイルになってしまう様に思えます。 色んな事を思い起こさせる写真でしたので、少し長くなりました。 それにしても、旅の記録の未整理部分ばかりを思い出さして戴きありがとう。
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2015年6月28日 1:52 MT→Terukiyo Suenaga さん、世界中いろいろ行かれてますねぇ。時代の証人、羨ましぃ~宝物です。
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カンボジアのアンコールワットもその内に規制がかかることでしょうね。。行ける時にいって、そして、ちゃんと記録していかないと、ですねp(^-^)q (記録したことも忘れることがあります…ノ´∀`*2015年6月28日 11:36
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末永 輝清→ 2012年4月下旬から、国際ロータリ−のバンコク(タイ)での年次大会に気乗りしない家内を説き伏せて共に出席し、その際お隣のアンコールワット(カンボジア)を訪ねました。
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それに溯ること4年前の2007年1月に、2500年前に仏教の創始者ブッダが初めて法を説いたといわれる仏教徒の聖地サルナート等(インド)を訪ねました。 インドの現在の仏教徒は0.7%ともいわれています。因みに81%がヒンドゥ教徒だそうです。 長い歴史の間、また13世紀初頭にできたイスラム政権により仏教は弾圧を受けたりで、インドで衰退した仏教は中国経由の大乗仏教&東南アジア経由の上座部仏教等でアジアで広がっていったようです。 其の過程で仏教も地域によって変化してきたようです。例えば、日本の僧侶はお酒を飲んだり、結婚したり・・。他の地域ではそれはとんでもないという仏教では御法度だったり・・。
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アンコールワットは12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教寺院として30年を越える歳月を費やし建設されたようです。 内戦が収まりつつある1992年にアンコール遺跡として世界遺産に登録、カンボジアの国旗制定はその翌年にこの寺院の祠堂を描いたものだそうです。
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そのヒンドゥー教徒の数は約9億人とされ、キリスト教、イスラム教に続いて人口の上では世界で第3番目の宗教だそうです。
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世界3大宗教(仏教・キリスト教・イスラム教)とはいわれていませんが、其の聖地ベナレス(ガンジス河)での沐浴・火葬は同じこの世なのかと思いました。
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近年はことさら色んな宗教寺院等から色んな事を感じたい心境になってしまいました。 この写真はそういったことを思い起こさせる程凄く神秘的に思います。雨と雨の合間もまたそうさせたのでしょう。2015年6月28日 14:01
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MT→Terukiyo Suenaga さん!インドは未踏の地。呼ばれていく所だと思っていますが、私にも行ける時が来るでしょうか。。
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沐浴風景のお話も、興味深いです。何事も紙一重、だと思わせてくれます。
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話しは少し反れますが… 私はカンボジアの地雷除去に仕事の売り上げの一部を寄付していますが、内戦の爪痕はまだまだ色濃く残っている。。祈るだけではなく、これからも、少しでもお役に立つことを…と思っています。
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写真と記事と、丁寧にみていただいて、ありがとうございます(^^)(–)(__)2015年6月28日 21:32
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🔶(FB会話より移行=2)TK→ 末永 輝清さん 憧れのマチュピチュ beautifu 2016年1月14日 0:56
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末永 輝清→ Tizu..Kosu..さん ありがとう。 ここは、歩くのに急勾配で、道幅が狭くて身体が弱い高齢者や車椅子の方は、しんどい ね 。2016年1月14日 1:34
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TK→ 末永 輝清さん 行けるかなあ🌠  2016年1月14日 10:45
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末永 輝清→ TKさん  ペルー南部、アンデス山脈にあるインカ帝国の都市遺跡のここへ行くだけでもかなり時間と体力をようしますよね。何度か乗り換えも有るしね。 カップルで行かれる場合は、機内の座席がお隣さんならいいね。
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この写真と説明を見ると、このマチュ・ピチュへは もう覚えやすい丁度10年前になりますが、私たちの時は、HISの少人数のツアーで、ビジネスマンの利用客が多いアメリカの飛行機でしたが 成田空港のそのチェックインカウンター近くが集合場所でした。 添乗員さんが、自分でカウンターに行って、そこでチケットをもらって下さいと言われ、その航空会社のチェックインカウンターで夫婦で隣同士の座席になるように お願いしましたが、全く別々の席でした。
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困ったので、添乗員さんからも航空会社へ交渉するように頼みましたが、しかし彼女は航空会社に交渉する意思は全く無くて そのままでした。 楽しみにしていた 初めての南米旅行は、お先真っ暗な気持ちでのスタートでした。 嫌な予感は輪をかけるように的中するものですね。
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つまり、その後、私たちの夫婦は、不安を抱えたまま、そのまま時間だけが通り過ぎていきました。 個人旅行にしないでツアーに参加したのは、そういった不安な目に会う事を解消する期待感を示していた訳でしたが・・。 私はその時、もし自分が添乗員だったらどうすべきか?っと考えながら、しかし、その当時は、その若い添乗員さんを超えるほどのそのような知識や熱意が全く無くて、個人的には何のアクションを起こさないまま最悪の不安だけを抱えた状態で機内に搭乗してしまいました。
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案の定、私の妻の座席は、言葉の通じない黒人の大男に挟まれて、その太い腕は両サイドの肘掛けを越えて侵入してくるし、大男の脚は足組みして両サイドから妻の座席エリアを越境しているし、挙げ句の果ては リクライニングを倒して寝ているし、私の妻はトイレにも行けず、眠れず、誰と旅行をしているのか・・、苦痛の時間だったと、到着後にその様子を聞きました。
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実は、私も同様な環境下に身を託していました。
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これは、ほんの一例ですが、これ迄 そんなこんなの大変な経験を沢山積んできました。 色々旅行をすれば、もっともっと、困ったことにも遭遇するものですよね。実は、そういったハプニングは付き物が通常であって、それらを順次、臨機応変に対応することも旅先での醍醐味ですよね。
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後年、ツアーには ないコースを旅行したことがありました。つまり、私たち夫婦二人だけの個人旅行をすることがありました。
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しかし、このような不安な思いと時間という経験を蓄積してきているからこそ、例え、現地ガイドさんから、諦めて下さいと言われても、自力で、しかも言葉が通じなくても根気強く、その時点での航空会社の航空システムを考えながら交渉を進めたかいがあって、ボリビアのラパスからマイアミ経由でサンフランシスコへ行く際を始め、
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またある時も夫婦二人旅でしたが、ニューヨークからシカゴへ向かう際の出発ゲートを、日本人が経営するホテルニッコウのホテルマンが、私の目の前でタクシードライバーへきちんと指示したにも関わらず、その移民系らしきドライバーは わざとゆっくりと携帯電話をしながら運転してしまい 出発時間が押し迫っていました、挙げ句の果てに 着いた先が全く違うゲートであって、・・、
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凄く焦ったことが連続して発生したこともありました。
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先の問題は、問題発生に対して何とか解決して乗り越えることが出来て、席が妻と隣同士になれたことが何度かありました。
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また次の問題は、タクシーを呼んで20分ぐらい離れたゲートに到着してギリギリ間に合ったかと思ったら、今度は私と私の妻との両方のスーツケースの重量オーバーで罰金の請求の話になってしまった事もありました。
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その時の旅行は、世界一周の途中で、このフライトだけが国内線なので、ビジネスクラスが無い機種の飛行機になるかも知れないとは聞いていたのではありますが、凄く面食らいました。
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しかし、その都度ピンチがチャンスとなって、その国々のシステムや文化や価値観等に一瞬の中にも、ドップリと浸かったりして完璧とはいかなくても、旅の面白さを満喫出来た有り難い出来事であったと今では思えます。
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自分では当たり前と思っている事が、その通りになっただけなのに、あたかも 奇跡が起きたかのような感激を何度も繰り返して味わったことも、私にとっては旅の醍醐味だったように思えてきました。
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旅先が地球の裏側となると、そんなことがまず頭に浮かんできました。 さて、ケチュア語で「老いた峰」マチュ・ピチュとワイナ・ピチュ(若い峰)との間に挟まれた標高2,400m以上の高地の尾根部分に都市が15世紀半ばに築かれたようです。
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その玄関口インカ帝国の首都クスコ(ケチュア語で「へそ」,標高3,400m)で会った現地人からは、何となく日本人に似ているように思えて、近親間を覚えました。 2016年6月23日 14:33
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TK→末永 輝清さん  感動 2016年6月22日 19:20
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🔶(FB会話より移行=3) sati..Hira.→マチュピチュはもう行けそうにはありません。体調のいい50代に行かれて良かったですね。 2016年1月14日 10:24
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末永 輝清→ はい。 運が良かったような気もします。 この時は、既に妻は血圧が低くて、マチュ・ピチュに着いても、歩けない状態でした。 ここで待っていると妻が言ったのですが、現地ガイドさんについて行かないと一方通行的なのコースだったので、妻にとっては過酷な旅だったようです。 私も、凄く疲れました。帰りのクスコまでの列車は、ずーっと寝ていました。 車内で歓迎のショーが有ったのですが。
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因みに、早朝まだ暗闇の中を真冬のような防寒具に身を包み、インカ帝国の首都だったクスコを出発して、途中にアマゾン川の支流の激流を眺めながらマチュ・ピチュの麓のアグアスカリエンテスまで約3.5〜4時間の列車の旅でした。
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標高3,400mのクスコから標高2,400mのマチュ・ピチュへ到着した頃は、暑くて半袖スタイルに、つまり真冬から真夏へ衣替えしました。
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以前、妻と共にモロッコのサハラ砂漠の日の出を見るために、真夜中、月の砂漠をラクダに揺られて進み、途中から這うように急な砂漠を登って行きました。 その時も、出発の際は真冬の服装でした。朝日が昇ると、今度は夏の服装に衣替えしたことを思い出しました。 2016年6月24日 4:19
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SH→ 本当によく行かれましたね〜!行ったお友達から話を聞いて、もう無理だと諦めました。私は滞在型の旅行が好きですが、主人は見れる物は全てのタイプでついて行くのは大変です。エジプトも主人だけで行きました。2016年6月23日 16:53
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🔶(FB会話より移行=4)San..Izu..→ワイナピチュには行かなかったので、次回は是非トライしたいです~(*´∀`) 2016年1月16日 20:15
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末永 輝清 →えー❗️ 既にマチュ・ピチュを歩かれたのですね。 外人観光客が、座って、裸足で大地を踏みしめてインカ帝国のことを味わっている様子が、凄く印象に残っています。
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私は、時間の都合でワイナ・ピチュに登ることは出来ませんでした。 登り口まで、走って見に行っただけで、未だに 未練が有ります。 しかし、あそこは、エアーズロックと同じ位、危険なような気がします。2016年6月22日 19:05
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🔶(FB会話より移行=5)Mayu..Sugi…→ マチュピチュ!!!! トレビアン!!!!2016年6月22日 21:37
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末永 輝清 →首都リマは海抜ゼロに近いですが、一気に標高3,400mの古都クスコへ、高山病に。そして、列車で下って、バスに乗り換えて、歩いて標高2,400mのマチュ・ピチュへ到着しました。
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ボリビアのウユニ塩湖、アルゼンチンのカラファテ、オーストラリアのエアーズロックのように近くに空港とかが出来ると、道中の様子が省略されてしまい、地元の少数民族の言語や文化もどんどんグローバル化してしまい、有難さが薄れるような気がします。 2016年6月23日 22:57
◾️(資料より)南米アンデス山脈に、人目をはばかるようにひっそりと存在する「空中都市」「空中の楼閣」「インカの失われた都市」「Machu Picchu」は、「老いた峰(Old Peak)」を意味するケチュア語「machu pikchu」を地名化したものといわれています。
 遺跡の背後に見える尖った山はワイナ・ピチュ (若い峰)で、標高2720m。山頂には神官の住居跡とみられる遺跡があり、山腹には月の神殿があり、マチュ・ピチュの太陽の神殿に対する構図になっていました。
 この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっていて、遺跡の面積は約13km²で、石の建物の総数は約200戸といわれています。
 熱帯山岳樹林帯の中央にあり、植物は多様性に富んでいて、行政上クスコ県に属しており、クスコの北西約70㎞に位置する。2015年(平成27年)の第39回世界遺産委員会終了時点ペルー国内に12件あるユネスコの世界遺産のうちでは、最初の1983年(昭和58年)私が34歳の時にクスコとともに登録されました。南緯13度で、10月から4月までの雨季と乾季があります。
 2006年(平成18年)8月私が57歳の時、私の妻とここを訪ねましたが、その翌年2007年(平成19年)7月私が58歳の時に 新・世界七不思議の1つに選ばれました。
【世界遺産】
 遺跡名称:マチュ・ピチュの歴史保護区/遺産種別:複合遺産/登録年:1983年(昭和58年)私が34歳の時に、クスコとともにペルーで最初の世界遺産に登録されました。
【登録基準】(i)人類の創造的資質を示す傑作。(iii)現存する、あるいは消滅した文化的伝統または文明の存在に関する独特な証拠を伝えるもの。 (vi)顕著な普遍的価値を持つ出来事もしくは生きた伝統、または思想、信仰、芸術的・文学的所産と、直接または実質的関連のあるもの。(この基準は、他の基準とあわせて用いられることが望ましい。) (ix)陸上や淡水域、沿岸、海洋の生態系、また動植物群集の進化、発展において重要な、現在進行中の生態学的・生物学的過程を代表する顕著な見本。
 *15世紀に、インカ帝国の皇帝が太陽を観測し、暦を作り、祈りを捧げる場であったと考えられていますが、今だに調査が続けられています。
 *1530年代にスペイン人はアメリカ大陸の侵攻を始め1530年代にインカ帝国の首都クスコを制圧し、インカの建築物を徹底的に破壊しました。マチュピチュだけは、険しい山の上にあったために見つかることなく、唯一完全な形で残るインカの遺跡となりました。
 *1911年(明治44年)に、インカ帝国の首都クスコの調査中に、先住民の手引きによってアメリカの歴史学者 ハイラム・ビンガムが発見、ビンガムはこの遺構こそが幻のビルカバンバ(1533年、最後の皇帝アタワルパがスペイン人によって処刑された当時、スペイン人の間に滅ぼされたインカ帝国の皇族の一族や残党たちがスペインに反逆するために山中にビルカバンバという都市を築き金銀財宝を集めているという噂があった)だと確信して発表されました。
 その後、インカ帝国が文字を持たない文明だったため記録がなく確証は得られなかったが、石段の組み立て方が1450年頃と判明しこの地はビルカバンバではないとされています。
 *1983年(昭和58年)の私が34歳の時に、クスコとともにペルーで最初の世界遺産に登録されました。
 日本において観光政策が意識され始めたのは、1930年(昭和5年)に当時の鉄道省に議員立法で「国際観光局」の設立を経て、1963年(昭和38年)私が14歳の時に「観光基本法」が立法された時です。
 世界的には1910年(明治43年)にフランスで国立観光事務局ができたことが最初です。
【JTBが発表した2017年(平成29年)の旅行市場予測】 2017年(平成29年)の訪日外国人旅行者数は、前年比12.0%増となる2700万人。中でも、日本人気の高い中国人旅行者が増える可能性が高い。来日の際の交通手段は、政府が受け入れ体制の整備を進めるクルーズ船の利用が増える見込み。クルーズ船は、日本各地に寄港することによって、高い経済効果を生むことが期待されています。
 2017年(平成29年)の日本人の総旅行者数は、0.4%増の3億1500万人と予測。うち国内旅行者数は0.4%増の2億9800万人、海外旅行者数は横ばいの1700万人を見込まれています。
 国内旅行者は、毎月末に金曜日の退社時間を早める「プレミアムフライデー」が2月から始まることや、LCCの利用が進むこと、JR各社が観光地をめぐるクルーズトレインの運行を始めることなどが増加要因のようです。
 海外旅行者は、2016年(平成28年)は無料だった燃油サーチャージが2017年(平成29年)2月から再度有料になる上、円安などもあり、旅行に必要な費用が上昇するため、伸び悩む状況です。
日本人にとっては南米ペルー南部のマチュピチュは遠い存在ですね。追記2017.1.14saturday.