[338]父を偲(しの)ぶ旅 A journey to remember my father

投稿日時:2018年08月04日  カテゴリー:自分史  タグ:なし
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【父を偲ぶ旅 A journey to remember my father】  
 昨年の師走に私の父の17回忌の法要を迎えました。
アインシュタイン御夫妻も宿泊された北九州市門司港の三井倶楽部1階英国調の部屋で私の両親と会食後、
その玄関で私がふたりを撮影した記念写真が額に入れて山口県美祢市伊佐町の両親が晩年暮らした自宅床間に今もそのままの面影を残して静かに飾られています。
 嘗て(かつて)私の父は私の母を伴って10年かけて世界中の先進国を旅行しましたが、その際の英国文化に思いを馳せながら私を見る眼差しが今も鮮明に思い出されます。
当時の父は右手で杖を付き、左肘を母が支えて何方も笑顔で写っています。
これが父との最後の会食でした。
享年80歳でした。
 13年前(当時の私は56歳)、私は山口県美祢市美祢駅前通りの末永写真舘美祢本館を独身の長男と次男たちに任せて、
7年間独居生活を送っていた母との同居用に設計した住居兼末永写真舘山口新館を山口市大内御堀に新築しました。
開館は2006年(平成18年)元旦でした。
私の従兄弟夫婦の勧めもあり10年前から母と妻との同居生活を始めた際、
嘗(かつ)て父と旅した際のナイヤガラの滝inカナダ????????を懐かしがっている母を見て、
私は世界三大瀑布の残り2つのビクトリアの滝inジンバブエ????????ザンビア????????と イグアスの滝inアルゼンチン????????ブラジル????????パラグアイ????????を母と共に訪ねました。
以後、今回が最後という気持ちで「母を乗せた車椅子世界介助旅行」を約8年間継続することになりました。
それは、私が30歳後半から10年半の期間 美祢市大嶺町 民生児童委員を務めた際、
地域(他人)の独居老人の御世話をさせて頂いた経験があったからでした。
 今、残された自分の母親に対して、その当時の想いを辿っています。
私の母との この約8年間、年2度の親子静養の旅は、取りも直さず 父を偲ぶ旅でした。
そして、今 その父を偲ぶ旅の続編を迎えています。
それは、私の母が緊急入院と共に延命措置して以来2年目を間も無く迎えることです。
人がその生涯を終える(御臨終)際、唯一人(ただひとり)だけでも親身に想う人に付き添われることが出来れば、その双方にとって有終の美といえると思っています。
親を看させていただけるという感性は、そのそれぞれの親子によって様々なようです。
そして、その お互いの心で感じるもののように思えてなりません。