[277]プレゼントの流儀

投稿日時:2017年07月12日  カテゴリー:自分史  タグ:なし
[277]プレゼントの流儀
TERUKIYO SUENAGA·2017年7月12日【今日も健康で朝を迎えられました】2017年(平成29年)7月12日wednesday.5:31.
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今日最初に目にした景色
山口市大内御堀 仁保川沿い(水道局隣) 末永写真舘 山口新館 2階自室ベランダより おはようございます
三代目館主 末永輝清68歳
【HP更新しました】 http://suenaga-photo.com
【BLOG更新しました】 http://suenaga-photo.com/blog/
【twitterは操作の練習中です】 https://twitter.com/terukiyosuenaga
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【私とは何か。プレゼントの基準】
(FBコメントより移行編集)末永写真舘の1階正面玄関エントランス前の箱庭や駐車場を取り巻く花壇の手入れは、私の妻の御蔭です。
しかし、私たち夫婦の高齢と健康上の理由などで、この春のチューリップの片付けを持って庭の手入れを終える予定つまり、大幅にその規模を縮小 もしくは廃止する予定でしたが、何故か未だに継続しています。
その理由は定かではありません。
何もしなくて思案中でも、次から次へと休む間も無く、途切れることなく、草花が咲いてきます。
これまでの庭創りを振り返りながら、ぼんやりしていても、
花殻を取り除いてやらないと、
次の花に養分が行き渡らないので、花の世代交代が停滞してしまって、
やがてその花は自体が短命となって、
一般の花同様にその茎自体というか本体自身の血のめぐりが悪化してしまって病んでしまうことがっ目に見えているからに他ならず、
その衝動に駆られてついつい花殻を取り除く一連の作業を繰り返すようになってしまったように考えられます。
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やがて、新芽や若葉を食べる為に生まれてきた虫たちとの根競べや、水遣りなどに勤しむようになったようです。
蝶々たちが花から花へと私たちを案内というか誘導したりします。
それは、まるで私の亡き父や私の妻の両親の分身その蝶々であるかのように錯覚したりもします。
そのうち、季節の渡り鳥の歴代の燕のたちの歴代の巣の修復と卵を孵して雛を育てながら命懸けの夫婦最初の天敵(烏など)撃退劇が目の前で演じられらりするうちに、次第にその庭の手入れの魅力に包まれるように思われます。
燕の雛の糞の受け皿は私の担当。
糞の分析で雛の成育や心理状況が次第に伝わって来るから不思議です。
私は、時折、facebookで花の記録を更新するだけですが、FBFrienndの方からのコメントに癒されています。
また、最近は、直接庭を見せてくださいねっと言われる方が増えてきました。
2~3年前から、そのような傾向がありましたが、最近は庭を見に来られたり写真を写されてテレビに投稿されたりされる方が増えてきました。
従って、尚更、庭の縮小計画の変更をというか延期をせざるを得ない状況になぜか生きがいのような刺激に最近なっているように感じられます。
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先日の私の妻の誕生日もこの庭の手入れと同様に 何もプレゼント(花の手入れ)もしない、御祝い(労い)の言葉も無く、淡々と日々が過ぎていきました。
取り止めて、その日だけっということに違和感を覚える 自分に対しても、私自身というか私の分人自身も不思議な気持ちを抱いています。
そういえば、昔、今から丁度30年前(私が38歳の頃)の私の妻の誕生日に、
豪勢な花を、
仕事で出張撮影で訪ねる地域にあるところの 草月流の教室を2階で開きながら 1階で花屋さんや喫茶などをしておられたお店のオーナーにお願いをして、
目の覚める様な花を活けてというか私の意向を反映させて頂きアレンジしてもらって、
私の妻へプレゼントしたことが一度だけありました。
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結婚する前から何もプレゼントしたことが無いのに、何故か?っと違和感を懐かれてしまいました。
険悪な感じになってしまいました。
考えてみれば、いわば、同じ家庭の生活費の中からの無駄な出費とも受け取られかねません。
しかし、その時はそう思わなかった自分が確かにいました。
その時の私は結婚して15年目、私だけが価値観が変化していました。
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丁度あれから(私の妻に超豪勢な花をプレゼントして)30年経ちました。
つまり、結婚して45年経ちました。
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プレゼントに、もし 基準があるとすれば、
それは、 その人に出会った頃、
そしてお互いにこの人となら一緒に生きていけるっと意識し合った頃、
その頃のお互いの価値観や最初のプレゼント意識、
その時のふたりの人生観が基準となるように思いました。
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私たち夫婦の場合は、
ものをプレゼントするよりは、
この庭(山口市に1箇所と美祢市に数カ所)のように、
共に愛でるものや、
共に共通する価値観を以心伝心で確認し合うところ(暮らし)にその基準が存在(平生業成/へいぜいごうじょう)しているように感じています。
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考えてみれば、だからこそ、私の妻を伴って世界一周旅行が可能になった要因の一つだったようにも思われてなりません。
考えてみれば、だからこそ、私の母をを伴って世界一周旅行が可能になった要因の一つだったようにも思われてなりません。
考えてみれば、だからこそ、私の妻と私の母とを別々に約1ヶ月間、嫁と姑をそれぞれの期間自分の時間を作ることが可能になった要因の一つだったようにも思われてなりません。
考えてみれば、だからこそ、嫁と姑が同居してやってこれた要因の一つだったようにも思われてなりません。
幾ら何でも、旅行期間中までも嫁と姑が一緒ではお互いに気を使ってしまうのではないだろうかとの考えに至りました。
つまり、私の妻とそして私の母への最大のプレゼントになったのではないだろうかと考えています。
色々、思い出させて頂き、ありがとうございます。