[347]人心の機微(きび) Difficulty of humanity (secrets,subtlety, nicety, delicate signs)

投稿日時:2018年11月19日  カテゴリー:自分史  タグ:なし
【人心の機微(きびSubtlety,secrets)】
自室から書斎を通り抜けて一階へ向かう際、立ち止まって振り向いて全紙サイズパネル張り写真を見上げて「有り難う」「有り難う」と無意識に声を出した自分に驚きました。
この半世紀、心に思っていても 声を出した事はありませんでした。
それは、半世紀前に「人心の機微」というものを強烈に意識した経験こそが現在の私の一期一会の原点だからかも知れません。
それは、古稀を迎えるにあたっての これまでの人物撮影に於ける「人心の機微」の原点に対する心の姿勢の要の存在だったからかも知れません。
(写真の事以外で民生児童委員や保育園理事等々ボランティアで色んな事をお手伝いする事はありますが)
これと全く同じ全紙サイズパネル張り写真を持っておられる方がこの世に1人おられます。
それは日本で唯一営業写真学科のあった日本写真専門学校の学生時代に同級生のK.Kさんに心斎橋でモデルを見つけたから一緒に学校の大スタジオで撮影しないかっと誘われたことが発端でした。
そのモデル代として、全紙サイズパネル張り写真を差し上げて下さいとの事でした。
半世紀前は、携帯電話もパソコンもない時代で、彼女の連絡先も知らないので全て同級生のK.Kさん経由でした。
あれから、あっという間の半世紀が経ちました。
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来月、50年振りに当時の同級生S.O(卒業後は異業種で働かれた男性)さんが 山口市へ立ち寄られ会うことになりましたが、
古稀を迎えるにあたって、お互いに健康な今のうちに会っておきたい人にお会いしておかないとという気持ちがあります。
昨年の8月下旬には、
兵庫県の写真館を継がれた同級生K.K(年齢は先の男性と同様に1つ上)さんがマイカーで石見銀山遺跡を経由して湯田温泉のビジネスホテルへ宿泊される際にお会いしました。
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その半世紀昔の時代の卒業前に唯一 大阪時代の初めてで最後のデートをした女性に感謝しています。
当時は、家業を継ぐ為に学んでいたので、大都会の文化と恋愛が卒業迄の最大の障壁でした。
大阪という大都会の文化にどっぷりと浸かっていると、山口県の田舎に帰省する気持ちが無くなる事が予測されたからです。
そして、好きになった女性が1人娘や姉妹の長女だったらその家族の養子になる可能性が生じる気持ちがあったからです。
その二大障壁を 乗り越え 耐えて、田舎へ帰省して家業を継ぐ自信が揺らぎ耐えられないものを感じたからでした。
従って、家業を継ぐ為には、学校を退学させて欲しいと何度か帰省して、夜遅く迄働いて帰宅した父に懇願しましたが、
私の父からは「卒業だけはしてくれ」の一点張りでした。
また、多感な青春時代を大都会で1人部屋で下宿生活を送りながら、女性との会話さえも細心の注意を払いながら常に一定の距離を置き恋愛をしないように耐えてきました。
漸く(ようやく)卒業式を迎える時期になる頃、古賀先生より「学校に残らないか」と涙が出るほど有難い言葉を頂きましたが、帰省して家業を継ぐ為に 即 御断りしてしまいました。
また、卒業式を間近に控えた時期に、この写真を彼女にお渡しした際に無意識の内にデートの約束をしていました。
私にとって青春を語る上で大阪時代の一度だけのデートでしたが、この唯一無二の存在の方との一期一会的な出会いがなければ、
人心の機微(きび)について生涯(半世紀以上死ぬ迄)考え続ける事はなかったでしょう。
この写真は、私が営業写真舘という職業人として人物を撮影して制作する上で、人の心の機微について関心を持つ事の重要性を知るきっかけになるものでした。
. 昔の投稿写真にコメントを追記しようとしましたが、その画面を探すのに時間が掛かったのでこう(再up)しました。
末永写真舘 三代目館主 末永輝清(69歳9ヵ月)
山口市大内御堀六丁目3番1号(水道橋隣/仁保川沿)
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