[372]有り難うオキザリス Thank you Oxalis

投稿日時:2018年12月30日  カテゴリー:自分史  タグ:なし
 
【有り難うオキザリスThank you Oxalis】 2016年(平成28年)12月30日(金曜日)8:29.のfacebookより移行しました。
photograph:山口市大内御堀 末永写真舘山口新館ベランダより。
あれから107日間、それから25日間、有り難う御座います、オキザリス。
10年前、山口県美祢市大嶺町上領の(昨年4月91歳で亡くなった)義母から数本頂いたこのオキザリスの可憐な花が、
同美祢市大嶺町美祢駅前通りの末永写真舘本館とこの山口新館に今や数千か数万本(株)に増殖しました。
45年前、(今は亡き)義父より頂いた夾竹桃(キョウチクトウ)も、何度も挿し木して鉢植えが数十本になりました。
このどちらも、ピンク色の花をつけます。
義母の形見となってしまったオキザリスは四季花ですが、義父の形見となってしまった夾竹桃は一年中笹の様な形の葉と共にピンクの花をつけています。
余談ですが、ピンクといえば 11年前の1月1日開館した このベランダのオキザリスがある末永写真舘山口新館の開館に際して、外壁の色は偶然にもピンク色というか肌色でした。
そして、8年前、同居していた私の母を伴ってアントニ・ガウディが暮らしていた家をバルセロナへ訪ねた際、
その外壁の色が私の暮らしている家の外壁色と同じだったことに手に汗を握り、感激のあまり鳥肌がたったことを思い出しました。
今年9月、医師に私の母の突然の寿命宣告と入れ替わりに突然咲き誇って、
私が医師にお願いした延命措置に対しての その御祈りを後押ししたかのようなこの驚異的な生命力を感じるオキザリス。
その34日目、2度目の手術。
そしてその50日後、入院後83日目の3度目の手術の成功を共に祈り見守っていてくれたオキザリス。
その25日後、入院後107日目を本日迎えました。
このオキザリスに総称される大自然の生命力と、そのオキザリスを真夜中も太陽光を反射して月明かりを注ぎ続けた月に総称される大宇宙のエネルギー。
そして、私達に関わりのあった人達全てに総称される大人類界。
私は、このみっつに私の母の寿命を重ね併せて祈り続けることが出来ました。
私にとっての祈りの対象は、身近な自然界の生命力とそれを包む宇宙環境のエネルギーと私たちに関わられた人のDNA運命でした。
つまり、ミクロの世界の中にこそマクロの世界が存在して、やがて霊の世界をも構築しているように感じました。
今朝この写真を撮影するのを待っていたかのように、このベランダ最後のオキザリスが地中生活へ旅立つというか、沢山の家族や仲間の待つ処へと舞い戻って行きました。
私がその瞬間を看取ることが出来たこのオキザリスとは、来年の秋に花を咲かすまでは、このプランタンの地中で私のそばにいてくれます。
持続可能な生命力というかエネルギーというか、そのパワーというか霊というか魂の世界を含めて有り難いことだと感謝しています。
今日の母の担当看護師さんはMamiKurahas.さんでした。
以前、ToyomiMatumot.看護師さんに彼女の名前と間違えた際に「彼女は綺麗でしょ」っと言われて、はいっと答えると、
「彼女とよく似ているからね」っと言われたので、漸く顔と氏名が一致出来ました。
ここは、緊急時対応総合病院だからか、他の病院とは異なって、職員の顔写真に氏名が記載された一覧表示が無いので、
107日間毎日通って漸く顔と氏名が一致する確率が高くなっきました。
何れにしても、この強靭的なというか驚異的なオキザリスの生命力パワーを毎日受け取ることが出来て、
また医師や看護師さん方に御縁を頂けたお陰様で、私の母の寿命が107日間伸びることが出来ました。
以前、Reik.Takesak.看護師さんから母の病室は個室なので、ラジオやCDを流すことのアドバイスを受けて実施させていますが、
私が母の手足首筋を軽くマッサージする際には、
母が22年前に自費出版した『随筆集 私の散歩道』や母と一緒に世界中を旅行した際のそれぞれの『地球散歩シリーズ集』等と共にラジカセを持参して、
母と話しながらそれをクラシック曲をBGMとして流しています。
母の右足甲に直径1.5cm位の表面張力というか鏡餅形状した薄黄緑色した濁った水膨れは、
一昨日のリハビリ療法の際は検証されなかったが、その傷口からの感染症を心配していることを、
口と喉から擬音がするので吸引されました際に伝えました。
2016年(平成28年)12月30日(金曜日)29時30分、追記。末永輝清。