末永幸せ写真で綴る 】

「写真の背景に心を写したい」三代目館主 末永輝清

2019年(平成31年)1月8日tuesday(69歳11カ月)自分で一部編集加筆

2014年(平成26年)8月11日(MON)(65歳)自分で一部加筆
2007年(平成19年)1月HPアップ時(57歳)に委託して記述

末永写真館は、山口県で代々営業写真舘を営んでまいりました。創業以来80年以上の月日が経ちました。

私、末永輝清[  /1949年(昭和24年) 月日~]は家業の3代目を継ぐ為に末永本家(宗家)の長男として待ち望まれて(期待されて)この世に生を受け(そのようなDNA運命を持って)、そのように育てられました(定められたDNA運命通りの道を驀地[まっしぐら]に 一心[いっしん]に歩んで来ました)。

祖父 末永 清弌[清昌院釋徹亮信士/1896年(明治29年)2月5日~1970年(昭和45年)5月20日(行年75歳)//

祖母フデ/慈照院釋尼 念大姉/「旧姓 田村」/1898年(明治31年)1月22日~1989年(昭和64:平成元年)6月28日(行年92歳)]・

父 劔[けん/浄光院釋信慈信士/1922年(大正11年)3月25日~2001年(平成13年)12月14日(行年80歳)//

母 敦子/明徳院釋智照信女/「旧姓 小方」1927年(昭和2年)8月9日~2018年(平成30年)5月28日monday15:08(行年92歳)]

が創業 継承した末永写真舘を継承する為に山口県立大嶺高等学校普通科を卒業後、営業写真学科のある国内唯一の日本写真専門学校へ進学して同校を卒業後、山口県美祢市(みねし)美祢駅前通りの 末永写真館 美祢本館 で働く為に帰郷と同時に昼間働いて夜に経営を学べる唯一の八幡大学の二部(夜間)を受験し、合格後 車と列車を乗り継いで通学しながら 同校を卒業迄にモノクロ時代からカラー時代に対応したプロカラー現像所を創業[1970年(昭和45年)]、高校時代の同級生Yosi.Mas.君の勧めもあり彼の母校慶応義塾大学通信教育学部(法学部)でのスクーリングや従兄弟のKazusi..Suenaga君が学んでいた東京大学で伊藤正己教授の英米法を聴講すると共に株式会社ビデオプロ等を経営した経歴のオーナーカメラマンです。

「2006年(平成18年)正月、私が56歳の時に大内文化の香りがする大内御堀(みほり)地区(「御堀991-2」が2018年[平成30年2月17日saturdayより新住所標記実施後「御堀六丁目3番1号」になる])に末永写真舘 山口新館を開館し、以来4代目が末永写真館 美祢本館を担当しております。

主な業務内容(美祢本館&山口新館)はスタジオ撮影はもとより、スクールアルバム、ビデオ撮影、出張撮影を中心に(ブロニー~35ミリフィルム現像 & INS デジタル カラー現像所、カメラ・用品販売、大型ポスタープリント出力、撮影用貸衣装・バッグ・草履等小物のレンタル&再利用&販売など)写真&映像を主体として営業中です。

創業以来、全て自社一貫制作技術の精神を受け継ぎ、4代にわたって地域の営業写真舘という職業を通して地域文化の向上・家庭文化と供に80年間取り組み続けている末永写真舘です。

早いもので、山口市、宇部市の大規模貸衣装&ヘアメイク&着付け付大型スタジオ・末永シルク館(2002H14,54歳)2店を統合して、更に進化(evolution)した本物志向の大型写真館を山口市の当地にご縁を頂きオープン(開館)して13年目(回目)の正月を迎えて14年目を迎えました(数えました/歳月が経ちました)。

開館以来、人生においてもまた、営業写真においても私の師匠でもある 父(末永家の長男 末永 劔)。

その父親より免許皆伝と直接言い渡された時の感激や、プロフェショナルカラー現像所(カラー写真時代の当初は取引相手を中国5県地区の営業写真館のみを対象としてスタートして、時代と共にアマチュア写真の大量生産にも拡大した)等々の創業、そして美意識と感性を磨く為に世界の文化を妻と、ある時は家族と、又社員旅行等々で訪ねた際の感激が走馬灯の様に思い出されます。

私の父亡き後7年間山口県美祢市伊佐町にて独居生活だった私の母。

2005年(平成17年)夏頃(私が56歳私の母親が78歳頃)に私の母と同居用に設計し着工し、翌年2006年(平成18年)元旦新築開館(早生れの私は56歳)と同時に山口県美祢市大嶺町美祢駅前通に位置する末永写真舘美祢本館を独身の私の長男と次男たちに任せて、私は人生初めての単身赴任生活で末永写真舘山口新館のスタートに専念しました。

実は、ハワイに永住する夢を実現したかったのですが、永住権取得の見通し(道筋)や生活する為の収入源と納税の為の写真スタジオの営業権や、私の母と暮らす際の医療や保険や介護等の情報が余りにも無いことに驚くとともに、私の妻を呼びよせた場合に御先祖の維持管理や末永本家としての親族との慶弔関係を中心とした付き合い(絆/信頼関係/急を要する場合の対応や近くに暮らしているという安心感)に不安材料と共に不便をかけ末永本家の長男としての勤めが果たせ無くなる懸念が募(つの)り、遂に断念して山口県内で美祢市周辺の山口市大内御堀の地に御縁を頂くことが出来ました。

末永写真舘山口新館を埋め立て造成新築オープン後から2年後の2008年(平成20年)私が59歳で私の母が81歳の頃、私の従兄弟の久保幸夫さん(私の母の7人兄妹の内3姉妹の長女清子さんの長男)夫婦が私の母との同居を勧めに山口市の写真館兼自宅までこられたのを切っ掛けに、私の母と私の妻と私との3人の同居生活を始めました。

かつて女学校時代は陸上短距離選手としてその名を馳せる程の健脚の私の母も、高齢と共に車椅子生活になりつつも、嫁と姑のお互いの時間を大切にする為にその(嫁と姑)交互に世界のリゾート地等を訪ねる旅をし、人生の機微を学びました。そして、今その私の経験と感性を生かし、写真の背景に心を写したいという思いで、写真撮影制作を主とした営業写真館という職業に半世紀間継続して従事してきました。

試行錯誤の末、バックに入り、持ち運びに便利な、オリジナル高級写真集や、各種(ブライダル& 成人記念& 落成記念& 自分史& 家族旅行& 米寿記念&会社○周記念 等々)オリジナル編集によるこだわり記念写真集(86頁迄制作)も好評を頂いています。

私が制作するので大量生産は出来ませんが、知る人ぞ知る の営業方針を大切にしています。今は、若かりし昔に資本金1億円を目指していた流れ作業式事業形態の頃(昭和の活気のある時代は20名を超えるスタッフと共に頑張った時代もありました)とは違った今の年齢&時代に応じた事業形態にしました。お客様が仕上がりを見られて大変喜ばれて感謝され、お礼を言われると更にその人の記録づくりを応援したくなります。

人生の節目節目の写真を末永く最もいい形で、その家族の財産として残していただきたいと願っています。どうぞ清流 仁保川沿いのドライブを兼ねて御予約の上お越しくださいませ。

 

「全国でもめずらしい自社一貫制作を80年以上継続している写真舘」

モノクロ写真からカラー写真に移行し約50年強たちます。

カラー写真時代が到来した当時は、膨大な設備費&高度な技術力&崇高な経営理念等々が必要となり、黒白写真時代の様に自家処理は出来なくなり、全国の写真館の仕事は撮影だけとなりました。

そんな中、末永写真館だけはプロ用フィルム現像・修整加工・プリント現像・手焼き大判プロプリントと撮影から現像まで一貫自社製作してきた特色あるスタジオです。

山口県内はもとより、全国でもめずらしい歴史を綴ってまいりました。

さらに大型ポスタープリントやVTR企画撮影編集等においても、お客様の声をそのまま生かせる様、外注しない制作にこだわり続けて来た歴史があります。

館主 末永輝清は2000(平成12)年、51歳の約半年間「富士写真フイルム株式会社 」のプロスタジオ印画紙マットペーパーの開発に協力した実績があります。

撮影からフィルム現像&ネが修整&カラープリント現像&プリント修整&仕上げ&お客様との直接の接客等々を自社で全行程を一貫して出来る写真館は皆無に等しい時代でありました。

そんな中、全国で3社の営業写真館が選定され依頼されました。後年、その事についてフジ写真フィルム株式会社東京本社営業写真担当の方に尋ねたことがありました。最後まで協力したのは当舘だけでしたとの事でした。大変な苦労&ノウハウの流出等を考えるとメーカーから都合よく使われたという見方も有りますが、反省と共に業界の発展に寄与したいという大きな信念が私を支えていた様に思えます。

私は常々、写真館に来られる方は、文化的な感性の持ち主だと感じています。写真を通して家族文化を大切にされ、自分を見つめ直す&自分の再確認の切っ掛けを無意識に感じ取って居られる様な気がしています。

写真は衣食住に当て嵌(は)まりませんが、この世に生まれてきた自分や家族や関連した人びととの生きた証しを大切にされる人だと感じながら半世紀間人物写真一筋(ひとすじ)に携(たずさ)わってきてそう感じるのです。

 

「2010年(平成22年)9月15日(火)掲載の山口新聞「東流西流」執筆以前より感じていたこと(当時の私は61歳)」

1816年(当時51歳)に世界で初めて写真撮影に成功したジョセフ・ニセフォール・ニエプス(1765~1833/68歳)。ニエプスは自分の技術を「ヘリオグラフィ(太陽で描くの意)」と呼んだ。それから現在(2014平成26年)迄、198年。

1829年からダゲールが協力し、光で化学反応する銀化合物の研究中に脳卒中で急死したが、10年後にダゲレオタイプ(銀板写真)となって結実。それから現在(2014年)迄でも、185年経ちました。

写真の発明から約200年経過した今は、誰でも手軽に撮影を楽しめる時代に成りました。更に、近年飛躍的に性能を高めたデジタル映像技術の導入で写真の表現世界も大きく変化しました。

続きは後日に・・

 

1年半振りに[2019年(平成31年)1月6日sunday.pm7:50(私は69歳)]読み返してみました。当時の山口新聞「東流西流」を、下記に そのまま転記(一部編集 加筆)してみます。

「ジョセフ・ニセフォール・ニエプス(1765~1833/68歳)先生」

当館創設者の末永清弌[1896年(明治29年)2月5日~1970年(昭和45年)5月20日(行年75歳)]と祖母フデ[1898年(明治31年)1月22日~1989年(昭和64:平成元年)6月28日(行年92歳)]、6歳の私[1949年(昭和24年) 月日~()]と3人が、(山口県)岩国空港から大阪行きの飛行機に搭乗前の写真がある。初飛行の私よりも撮影者の父[末永 劔(けん)1922年(大正11年)3月25日~2001年(平成13年)12月14日(行年80歳)]の熱い思いが写っている。この写真を胸に今年[2010年(平成22年)6月(私は61歳)]パリへ飛んだ。リヨン駅からマルセイユ行きの新幹線で2時間半、シャロンシュルソーヌ駅で下車。

1816年に世界で初めて写真撮影に成功したジョセフ・ニセフォール・ニエプス(1765~1833/68歳)の博物館へ。フランス中部シャロン・シュル・ソーヌに位置する生家も訪問。さらに30キロ奥地に位置するヴァレンシア村でその妻アニエスと並んで眠る墓を訪ねて、178年間の写真の変遷報告と感謝の念を込めて私の妻と共に合掌をさせて頂いた。

ニエプスは自分の技術を「ヘリオグラフィ(太陽で描くの意)」と呼んだ。

1829年からダゲールが協力し、光で化学反応する銀化合物の研究中に脳卒中で急死したが、10年後にダゲレオタイプ(銀板写真)となって結実。[それから現在(2019年)迄でも、190年経ちました。]ニエプスが窓から撮った写真はアメリカ合衆国のテキサス大学に展示されているとのこと。

ニエプス博物館訪問記念に彼に関する本を購入させて頂いた。私は20歳代後半に高校時代の同級生(慶応ボーイY0si.Ma..君)の勧めもあり慶応義塾大学通信教育部のスクーリング等でドイツ語やフランス語の授業や試験を受けて単位取得してはいたものの30数年間一度も使用する事がなかった為に帰国後直ぐにフランス語の辞書を買い求め(書斎に眠っていた30数年前に使用した辞書の隣りに置きました)た。

山口県美祢(みね)市美祢駅前通りに位置する当館 末永写真舘美祢本館を継承した長男と次男も「この部厚(ぶあつ)い本を翻訳?」と驚く。隠居後の楽しみというか自分のライフワークのつもり。

今夜も月が綺麗(きれい)。その月に彼の功績を称(たた)えて名付けられた「ニエプス・クレーター」は私の独身3人息子と共に私の誇りだ。

 

【末永 輝清の著書、たずさわった活動等の略歴]

1971年(昭和46年)7月(22歳)
写真集 自費出版『南太平洋の泉・トラック諸島、ラグーンの人々』 
写真展開催/福岡県博多天神『岩田屋本館』、山口県『下関大丸』、山口県『宇部大和』、徳山市等にて
毎日新聞に取材記事掲載/毎日新聞の『日曜日の対話欄』等に取材掲載される。他の新聞にも写真展開催記事を掲載される

1980年(昭和58年)~2007年(平成19年)31~58歳
山口県柔道協会 美祢支部理事拝命

1981年(昭和56年)~1983年(昭和58年)32~33歳
山口県美祢市大嶺町吉則町子供会 育成会長拝命

1982年(昭和58年)~1986年(昭和61年)34~37歳
山口県青少年育成 美祢地区推進委員拝命

1984年(昭和59年)年度(35歳)
(社)日本青年会議所 開発室 経営開発委員会 出向
MIAインストラクター200名中、第一号を受賞

1985年(昭和60年)年度(36歳)
(社)日本青年会議所 政策室 先端技術問題委員会 出向

地元の(社)美祢青年会議所 (JC)では経営開発委員長を拝命するにあたって、私が暮らす同町内(美祢市大嶺町吉則町上1区[みねしおおみねちょうよしのりまちかみいっく])の同美祢JC OBでもあり日頃から信頼 尊敬しているTomoka..Hara..さんに日本JCと美祢JCとの役員の両立を超える悩みを解決するうえでの相談をした事がありました。

日本JCの同委員会への出向に向けての鵜野政人(広島JC所属)委員長予定者指名でその前年(日本JC経営開発委員会後半)に折角期待されて声をかけて下さったのに、いろんな事や心労が重なって事故をしなくて命があっただけでも幸だと感じる1~2年間でしたので、この全国で20名という超エリート委員会(日本JC政策室先端問題委員会出向)には悔いが残っています。順って、その翌年に美祢JC理事長予定者から申し訳ない程の指導力委員長受諾依頼攻勢を御断りさせて頂き後年禍根を残す形になってしまいましたが、役職を拝命するからには自分なりに納得がいくように努めたい性格を改めて知る事になりました。私の性格からすれば、もし役員を受諾していれば現在の生活は無くなっていただろうと今でも思っています。自分が経営する仕事を優先しました。
同3月
『美祢地域の未来像を求めて』(美祢市と美祢郡の合併を視野に入れて)美祢市商工会(青年部他)出版
美祢市商工会青年部 地域開発委員会、委員長兼編集長拝命
(後に全国商工会連合会より全国表彰受賞/東京での授賞式には当時の青年部長 秋本道雄氏が出席)
第一回市民シンポジウム(美祢市商工会館大ホール)コーディネーターを務める
第二回市民シンポジウム(美祢市民会館大会議室)コーディネーターを務める

1986年(昭和61年)4~6月(37歳)
山口新聞 コラム欄 「東流西流」執筆 毎週木曜日の13回シリーズを担当
掲載画像はこちら(PDF)

1987年(昭和62年)4月(38歳)
『日本のJC運動・今街づくりから新しい地球システムの構築へ』執筆出版。社団法人日本青年会議所 開発室 社会開発プログラム国際化委員会(委員長 鈴木 茂[立川青年会議所より出向])出版
(社)日本青年会議所副委員長・社会開発プログラム国際化委員会第3小委員会小委員長兼編集長拝命
JCI(世界青年会議所)アジア大会、アフリカ大会、オセアニア大会、全米大会、ヘルシンキ、アムステルダム世界大会等にてセミナーテキストに使用
3回のJCI世界大会にてパネラー[アムステルダム世界大会全体会議にて]・スピーカー[モントリオール世界大会にて日本青年会議所主催セミナー&ヘルシンキにてヘルシンキ青年会議所のリクエストに応えて日本青年会議所を代表して」・インストラクター[名古屋世界大会の経営開発セミナーにて日本青年会議所開発室経営開発委員会を代表して]を務める

全国の青年会議所・山口県美祢(みね)市秋芳町(しゅうほうちょう)別府公民館等のインストラクター・講師を依頼され務める

1988年(昭和63年)7月15日(39歳)~1998年(平成10)11月30日(49歳)
山口県美祢市大嶺町(みねしおおみねちょう)の民生児童委員を拝命し務める(10年5ヶ月)

1988年(昭和63年)8月20日(39歳)
第三回美祢地域(美祢市美祢郡)市民シンポジウム(美祢市民会館大ホール他その周辺にて)
上記3回の市民シンポジウムのコーディネーターを拝命
これから20年後(諦めて忘れた頃)の2009年(平成21年)春に美祢市・美祢郡は正式合併となる

1988年(昭和63年)12月(39歳)
『Sun Sun(山山)フェスタ・魅力ある美祢地域にするために』社団法人美祢青年会議所出版
(社)美祢青年会議所副理事長(社会開発系委員会担当)編集長拝命

1991年(平成3年)~1992年(平成4年)42歳
山口県美祢市大嶺町吉則町 町内会長拝命

1991年(平成3年)~2008年(平成20年)42~59歳頃(美祢市合併前)
山口県美祢市商工会 大嶺支部理事拝命

1994年(平成6年)~1995年(平成7年)45~46歳
山口県立西市高等学校 PTA会長拝命  (次男がボート部で国体&インターハイ出場)

1994年(平成6年)8月28日(45歳)
母 末永敦子 随筆集「私の散歩道」自費出版
題字  父 末永  劔 表紙カバー写真  末永輝清

1996年(平成8年)8月(47歳)
エジプト写真展を美祢市ににて開催
末永写真館の長男として家業を継ぎながら、(株)シルクプロカラー現像所を創業。その25周年を機に長男の久輝(当時、大阪芸大在学中)と共にシルクの社標スフィンクスや、クレオパトラを始めとする王妃がシルク(絹)を愛用している壁画等を訪ねたもの。

1997年(平成9年)7~8月(48歳)
山口新聞コラム欄執筆「東流西流」 毎週月曜日 6回シリーズを担当
掲載画像はこちら(PDF)

2002年(平成14年)~現在 53歳~現在
保育園 理事拝命

2003年(平成15年)7月(54歳)
美祢ロータリークラブ、第30代会長拝命

2004年(平成16年)6月(55歳)
国際ロータリー第2710地区『美祢ロータリークラブ創立30周年記念誌』
美祢ロータリークラブ30周年記念誌編集委員会より出版、編集に携わる。

2007年(平成19年)7月(58歳)
国際ロータリー第2710地区グループ2ガバナー補佐拝命(山口県5名・広島県7名)
同期のアシスタント ガバナーの主催するインターシティミーティング(IM)へ了解を得て全て出席する。凄く感銘を受ける。

2008年(平成20年)6月(59歳)
メキシコ・カリブ海にてカンクンロータリークラブ交流会実施後、米国ロサンゼルスにて国際ロータリー第99回年次大会へロータリアン家族11名と共に参加。

2009年(平成21年)6月(60歳;還暦)
英国・バーミンガムにて、国際ロータリー第100回年次大会開会式へ妻と共に出席。
ロータリークラブの同期の会長(第1回目の美祢ロータリクラブ会長時代)&国際ロータリー第2710地区の同期のガバナー補佐のKuni.Tamu..様(柳生西RC所属)の突然のお誘い電話で、急遽夫婦で参加して現地で登録をする。
開会式翌日(6/22)夕刻(15:30~17:00)の東京恵比寿ロータリ-クラブによる日本のロータリークラブとしては初の分科会開催へ妻と共に出席。
2009 RI Convention in Birmingham Breakout Session Children At RiskーWater and Sanitationー(2009年バーミンガム国際大会 分科会 「危機下の児童ー水と衛生ー」)の隣席が、元 国際ロータリ-理事 南園YMimamiso..(防府RC所属)御夫妻でした。
偶然とはいえ、地球の裏側迄来て山口県出身がお隣同士の席になろうとは、分科会の榊原節子委員長(正田美智子皇后陛下の従姉妹)&パネラーぶりもさることながら、驚きでした。
友愛の家のブースにおいても東京恵比寿クラブのアピールに触れることが出来、グローバリゼーションに於ける環境問題の深刻さに頭を悩ませました。

山口&広島県の72(2017年[平成29年3月現在は73])ロータリークラブの内15クラブで卓話を務める。

2017年(平成29年)現在、美祢RC、宇部東RC、宇部西RC、宇部RC、小野田RC、萩東RC、萩RC、広島東南RC、広島北RC、下関中央RC、長門RC、油谷湾RC(2016年[平成28年6月30日付で会員数減少の為解散])、山口南RC、徳山RC、山口RC、
主なテーマは「ロータリ-の創始者:ポール・パーシー・ハリスの足跡を訪ねて」「国際ロータリ-年次大会報告」等。
各国際ロータリ-年次大会参加 & 各地訪問 記念写真集発刊 (自分用ですが事前にご連絡いただければ美祢本館&山口新館でお見せできます)

2010(平成22)年6月(61歳)
・イスタンブール~・ミコノス島(ギリシャ)~・エルサレム(イスラエル)~・ポーサイド、ギザ、ナイル河、アレキサンドリア(エジプト)~・クレタ島(ギリシャ)
・コリントス運河、アクアポリス(ギリシャ)~・サンタマリア・デッレ・グラツェ聖堂の最後の晩餐(イタリアミラノ)~・モン・サン・ミシェル & 1816年に写真撮影に成功した写真術の祖、シャロンシュルソーヌにあるニエプス博物館とヴァレンヌ村のニセフォール・ニエプス先生の墓参(フランス)

・自由の女神(リバティー島)&ブロードウエイミュージカル(ニューヨーク)~・ホワイトハウス、リンカーン記念館、アーリントン墓地、スミソニアン博物館(ワシントン)
・ロータリーの歴史上もっとも重要な「711ルーム」(復元)のある国際ロータリー本部16階、カムリーバンク、マウントホープ墓地(シカゴ)~・ウオーリングフォードのポールハリス記念館他(米国バーモント州)

2010年(平成22年)6月(61歳)
カナダモントリオールにて国際ロータリー・第101回年次大会へ夫婦で出席。

2010年(平成22年)9~10月(61歳)
山口新聞コラム欄執筆「東流西流」 月曜担当、9回シリーズ担当
掲載画像はこちら(PDF)

2010年(平成22年)11月(61歳)
月刊誌「ロータリーの友」の友愛の広場 欄に「ロータリーの存在理由を求めて」の投稿文&写真(ロータリ-の創始者ポール・パーシー・ハリスが少年時代に過ごしたウォーリングフォードにある祖父母の家の前で私達夫婦が写ったもの)が掲載され、ロータリアンよりご意見が届く。

2011年(平成23年)5月(62歳)
米国、ニューオリンズにて国際ロータリー第102回年次大会へ夫婦で出席
マイアミMiami、ジャマイカJAMAICA、ボリビアBOLIVIAのサンタクルスSNTA CRUZ DE LA SIERRA&ウユニ塩湖Salar de Uyuni & ラパスLa pasz & ティティカカ湖 L.Titicaca、サンフランシスコSAN FRANCISCO & ヨセミテ国立公園等を訪ねる

2012年(平成24年)5月(63歳)
タイ、バンコクにて国際ロータリー第103回年次大会へ夫婦で出席
私が一回目の美祢ロータリークラブの会長時代の同期の会長でもあり、同期のガバナー補佐でもあるKTさんが2710地区代表幹事をされ、前年3月11日の東日本大震災の川村孫兵衛船復活や、カンボジアの子供達への支援者への協賛等にご尽力されたこともあり、その慰労会を、当事者のKTさんの意向でガバナーナイトで開催し、私はその幹事役を務めさせて頂いた。
また、同時期に同期のガバナー補佐で当日を楽しみにして居られた久行様がお亡くなりになられた日でもあった。
北京、万里の長城、香港、マカオ、カトマンズ(ネパール)、バンコク(タイ)、シェムリアップ(カンボジア)、ホーチミン(ヴェトナム)、上海等を妻と訪ねる
同年4月より国際関係学を学び始める3

2013年(平成25年)前年の12月30日(日)〜1月4日(金)

車椅子の母とシンガポール(私63歳、母85歳)。

2013年(平成25年)6月(64歳)
ポルトガル、リスボンにて国際ロータリー第104回年次大会へ参加
リスボンLISBON、列車で ポルトPORTO(ポルトガルPORTUGAL)へ、タクシーで サンティアゴ・デ・コンポステラSantiago d.Compostela、夜行列車で マドリードMADRIDへ、タクシーでトレドToledo(スペインSPAIN)を訪ねる
同年4月より国際関係学部4年。

2013年(平成25年)8月車椅子の母とカハラホテルinオアフ島(ハワイ諸島)私は64歳、母は86歳
同年11月より友人(TK)の御陰でFACEBOOK等の操作を開始

2014年(平成26年)4月(65歳)
山口市 大内御堀町内会(700世帯)の掘中班の班長兼務、 8ブロック長兼務、 副会長(総務部長兼務&みほり便りの編集も担当)
美祢市 大嶺町吉則町上1区の自治会長
友人(KInosit.)の影響で九州国際大学 大学院を受験する。

同大学院合格、入学後グローバリゼーションにおける観光産業の発展と世界遺産、そして高齢者の旅行に関する修士論文を書き始める。1

2014年(平成26年)5月(65歳)
美祢ロータリークラブ創立40周年記念式典挙行。

美祢ロータリークラブ40周年記念誌編集委員会より出版、編集に携わる。印刷を仕事として依頼される。
シドニーでの国際ロータリー第105回年次大会(シドニー)は上記行事と重なった為不参加
5年越しの計画の内の一つ、家の補修工事に目処がつく。

2014年(平成26年)7月31(木)~8月2日(土)65歳
宮城県石巻市(三陸海岸)の川村孫兵衛船復活プロジェクト関連行事に参加
萩東ロータリ-クラブ会長(MBab.様)初め多くのロータリアンの御陰で、石巻東ロータリークラブ会長(RT様)初め多くの方々の東日本大震災(2011,3,11)の現地のお話を漸く直接見聞きする機会を得ることが出来ました。
又、日和山公園、石巻港の水産工場、女川地域医療センター、雄勝町庁舎跡、石巻市立 大川小学校跡地等々を訪ねることが出来、更に、復興に活気づくお祭り&花火に感銘しました。

同年8月3日(日)九州国際大学 国際関係学部時代の同級生 長谷川将士さんのお陰で、数ヶ月前からアクセス出来なくなっていたHPを再開;8年越しの自主制作の目処がたつ。

2015年(平成27年)前年12月30日(日)〜1月5日(日)65歳

車椅子の私の母とオアフ島inハワイ諸島。

10月27日門司港ホテル車椅子の母と宿泊。

4月15日wednesday.義母久保幸子永眠(行年92歳)

2016年(平成28年)9月9日friday.九州国際大学大学院を67歳での卒業。それを待っていたかのように、私の母(87歳)が同月15日thursday.午後緊急入院。

【『写真集 地球散歩シリーズ』】

館主の私がまだ青年独身時代に発刊した写真集、「南太平洋の泉・トラック諸島、ラグーンの人々」をご希望の方には販売します。

43年以上もの月日を経て歴史的にも貴重な写真集となってしまいました。

また運が良ければ山口新館で次の写真集を見ることも可能です。
「地球散歩シリーズ」
両親とのドライブ編・・
義理の両親とのドライブ編・・
妻との・ロンドン&パリ&ローマ編・南米編・インド編・モロッコ編・スイス編・ニューオリンズ&マイアミ&ジャマイカ&ボリビア&サンフランシスコ編・中国&ネパール&タイ&カンボジア&ヴェトナム編・
家族&社員との・オーストラリア編(2000平成12,8シドニーオリンピックの直前;51歳)・屋久島&鹿児島編(2010平成22,8,61歳)・見島・壱岐対馬・北海道一周・高千穂峡・新宿高層ビル&富士山頂&大阪万博跡・東京筑地&はとバス・・・・・・
義母と妻の・日本横断旅行編
母との・世界一周旅行編
妻との・世界一周旅行編

世界を旅した館主の私が、訪れ各地をスナップした地球散歩のシリーズもご希望の方で運が良ければお見せすることもできるでしょう。
モロッコ、エジプト、スフィンクス、ピラミッドの夜景、ケープタウン、モーリシャス、
インド、シンガポール、クアラランプール、マチュピチュ、クスコ、アルゼンチン、イグアス、
ヘルシンキ、アムステルダム、モントリオール、ラスベガス、グランドキャニオン、ナイアガラ、メキシコ、チリ、ガラパコス諸島、エンジェルフォール、イースター島、タヒチ、ハワイ4島、
南アフリカ、ぺトラ遺跡、パナマ運河、ポルト(ポルトガル)、サンチャゴ・デ・コンポステラ(スペイン;キリスト三大聖地)、マドリード、トレド、etc各地の写真があります。印刷ではない迫力を味わってください。

左の表紙写真をクリックすると、拡大画像がご覧いただけます。

A.高齢の母を伴っての親子旅に関する講演、 B.母との世界一周写真展, C.妻との世界一周旅行写真展の開催 上記に関与することも可能です。