【雨降る私のクリスマス】実は山口市は日本で最初にキリスト教を布教した地なのです。
フランシスコ・サビエル((1506.4.7.~1552.2.15./1541.4.7.35歳の誕生日にリスボンを出港,8モザンビーク????????inアフリカ到着後秋と冬を過ごして1542.2.出港,5.6.ゴアinインド????????到着後各地で宣教後,1545.9.マラッカ,1546.1.モルッカ諸島に赴き,1547.12.マラッカに戻り
鹿児島出身のヤジロウーら3人のゴアで洗礼を受けたばかりの日本人らは イエズス会士神父,修道士,中国人,インド人と共に
1549天文18.4.15.ゴアをジャンク船で出港,上川島in明[広東省江門市台山]経由坊津in薩摩半島上陸同年8.15.祇園之洲町in鹿児島市来着,同年9月伊集院城で島津貴久に謁見宣教許可を得るが仏僧の助言を聞き入れ禁教に,
1550天文19.8.平戸in肥前国で宣教活動,11上旬周防山口で無許可で宣教活動後周防守護大名大内義隆に謁見するが男色を罪とするキリスト教の教えが大内氏の怒りを買い12.17.周防を立ち
岩国から海路堺上陸豪商の日比屋了珪の紹介で1551天文20.1.念願の京へ到着小西隆佐より歓待受,
全国での宣教許可得る為 日本国王 後奈良天皇及び征夷大将軍足利義輝への拝謁請願[戦乱による室町幕府権威失墜の背景と共にインド総督とゴアの司教の親書持参したが献上品を平戸に置き残していた為叶わず]))
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フランシスコ・サビエルは、1551年(天文20年)4月平戸に置き残していた献上品を携えて政情の安定している山口へ3度目の訪問を果たし、
大内義隆(1507.12.18永正4.11.15~15519.30.天文20.9.1./周防,長門,安芸,石見,筑前,豊前の守護45歳没)氏にキリスト教布教の許しを願いでました。
大内氏はそれを許しサビエル一行の住居兼教会(日本最初の常設の教会)に廃寺であった大道寺(ここで1日に2度説教を行い 約2ヶ月間の宣教で約500人の信徒数獲得)を与えました。
サビエルは、ここを宿所として毎日街に出て布教に当たったといわれています。
日本滞在が2年が過ぎ、
1552年4月バルタザル・ガーゴ神父を自分の代わりに日本へ派遣後自らは中国を目指し、同年9月上川島到着後入境出来ず発病し12月3日没46歳。
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古稀70歳を間近に控えた私は、2018年(平成30年)12月21日friday.雨の中でしたが、数十年振りにこのキリスト教布教の原点というか聖地を訪ねました。
現在のサビエル記念公園の周りは住宅街になっていて、大学生は県外からの人が多いせいか知る人は少なく、
地元の人に尋ねてようやく辿り着きフランシスコ・ザビエルさんに再会出来ました。
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2011年(平成23年)5月(私62歳)、アマゾン川の支流が流れるサンタクルスinボリビア????????を私の妻と訪ねた際の小さな町の中心にある公園がスペイン????????文化が漂っていましたが、そのような雰囲気の布教の原点を感じました。
. また、私の妻と訪ねたキリスト三大聖地 に静かに思いを馳せています。
*【2010年平成22年6月[私61歳]キリストの生誕地ベツレヘムinイスラエル????????】
使徒ペテロの師、イエス キリストの生誕地と彼が十字架を背負って歩いたヴィア ドローサも歩き、
彼の墓があるキリスト教の聖地「聖墳墓教会」へ私は私の妻とともに向かいました。
このエルサレムは1キロ四方の壁の中に何と3つの宗教の聖地があります。
ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」の祈りの場は男女別に柵で仕切られていましたので日本から訪れた私達夫婦は少し離れた別々の入り口から入って祈りを捧げさせて頂きました。
そして待ち合わせの場所で夫婦が再会しました。
イスラム教の聖地「岩のドーム」の黄金色のドームは、今やエルサレムの象徴的な存在となっています。
今から約2000年も昔のイエス キリストを、レオナルド ダ ヴィンチは1498年46歳の時に
イタリア????????はミラノのサンタ マリア デッレ グラツイエ修道院に「最後の晩餐」の壁画を完成させたと言われています。
それはレオナルド ダ ヴィンチが52歳の時にフィレンツェ????????に戻ってモナリザを描き始める6年前の彼の作品に
私たち夫婦が2001年8月[私52歳]にルーヴル博物館inパリ????????でその息吹に触れて感じたことでした。
 
*【2001年平成13年8月[私52歳]使徒ペテロの墓の上に建サン・ピエトロ大聖堂inバチカン市国????????】
キリスト12聖人の1人、使徒ペテロの墓の上に建つルネッサンス様式の代表のサン ピエトロ大聖堂はバチカンにあるローマ カトリックの総本山で世界最大の聖堂で、
1506年に工事が始まり、完成までに1世紀以上もかかっている。
1541年にミケランジェロが66歳の時に描いた「最後の審判」のあるシスティーナ礼拝堂を私は私の妻と共に17年前に鑑賞に訪ねました。
1996年(平成8年)8月[私47歳]、私は私の長男(大阪芸術大学2年生当時)とともに
ルクソール神殿inエジプト????????を訪れた際のラメセス2世が建てた高さ25mのオベリスクや大列柱廊の模写を彷彿させられる程の圧巻でした。
 
*【2013年平成25年6月[私64歳]聖ヤコブが眠るサンティアゴ・デ・コンポステーラinスペイン????????)】
10世紀にサンティアゴ(使徒大ヤコブのスペイン名)の遺骸が発見されたという噂から、中世ヨーロッパにおけるキリスト教三大巡礼地のひとつとなったといわれています
9世紀初頭にアストウリアス王国のアルフォンソ2世が聖ヤコブを祀る聖堂を建設したが、10世紀末にイスラム勢力に寄って破壊され、
現在の聖ヤコブが眠る大聖堂は1128年ロマネスク様式で建設されたといわれています。
その後も増改築が繰り返され1750年「黄金に輝く傑作」チュリゲラ様式のファサードが完成。
1188年彫刻家マテオが20年の歳月を掛けて完成させた大聖堂の正面門は「栄光の門」と呼ばれると共にロマネスクからゴシックへ移行する時間を示す重要な例証といわれる。
 
 
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古稀70歳が目前に迫る私のクリスマス(この日に急用があるかも知れないのでその前後に自分なりに静かに祝ってきました)は、
アルコール(と共にカラオケなどで騒ぎ立ててストレス発散目的)や
コレステロール(に気を付けなければならない程の美食)や
喧騒(けんそう)やメーカー主導の宣伝(ケーキや贈答品等が主体となる行動)等
とは無縁の生活が私のDNA運命には合っている様です。