【ビデオは金曜日の前庭より】
2017年(平成29年)6月2日friday.(のfacebookよりそのまま移行しました。)
山口市大内御堀991-2(水道局隣/仁保川沿い)←昨年の2月17日より住所表記が変わって大内御堀六丁目3番1号になりました。所在地は同じです。
末永写真舘山口新館前庭より
こんばんは♪
【HP更新しました】
http://suenaga-photo.com
この度、私こと末永輝清(68歳)は 10年振りに自分でHPをリニューアルしました♪
????3-1????今晩テレビで、
「【美しい街】元々は高級娼婦が暮らす街だったというベネチア(ベニス)」と、
「【滅びゆく街】海上に杭の上に建てられた街が腐りながら沈んで行く街といわれるベネチア(ベニス)」
の2面性と対比して、
「ショパンの在りし日の恋人との思い出 つまり美しいメージが散っていく【人の生】」と
「ショパンが亡くなる3年前に 遠い過去を思い出して幻影として見つめている滅びの美【人の死】」
という根源的なテーマを、
ベネチアのゴンドラに乗った恋人どうしにリンクというかドラックして作曲したショパンの「舟歌」についての魅力を紐解きながら、
大変懐かしいあのベネチア(ベニス)の風景が延々と放映されていました。
そういった解説を聞きながら、あのアムステルダムのある地域に張り巡らされている狭い水路に美しく映える飾り窓を連想しながら見入りました。
何方も今は観光地として、世界中の女性達がツアーなどでその美しさに魅せられて訪ねていて少し不思議な光景に思えたことがありました。
それは、今から丁度30年前(私が38歳の頃)に夜のアムステルダムの飾り窓水路街でごった返す人混みの中でも感じたものでしたが。
ピアノの鍵盤の白鍵を、ショパンは「波」を表し、
その右手が波に例えて奏でる旋律に合わせて、
左手はその波に揺られる「舟」を表す黒鍵を奏でるショパンの心を東京藝大准教授林達也さんたちが解説しておられました。
舟上で恋人たちがささやき合っているような1主旋律、
舟が進むにつれて2人の距離が縮まるかのような2主旋律、
漕ぐのをやめて誰にも止められない時間のロマンティズム溢れるショパンの愛の告白の状況が3主旋律、
最後の旋律では その美しいイメージが散っていく。
今の世でも尚、人の心を引きつける切ない想いを代弁しているショパン作曲「舟歌」が生まれるそのベネチアを舞台にした現場に、人生の悲哀と共にその想いを馳せています。
????3-2????くしくも、今日パスポート用の写真撮影に御来館された御客様に、
その仕上がり写真をお渡しする際に、
このベネチア(ベニス)のサン・マルコ広場やゴンドラなど、
そしてベネチアから列車でフィレンツェで乗り換えてピサの斜塔迄(アドリア海側から列車でイタリアを横断してティレニア海側迄)の
お話を当時の旅行をまとめた写真集をめくりながら会話をしたばかりでした。
私が暮らす山口県で例えれば、瀬戸内海側の街(宇部市、山口市、防府市、周南や岩国市など)から日本海側の街(長門や萩市など)へ県を横断するイメージがありましたが。
さらに464人目(山口市内はもとより山口県内のお友達が数ぞえるほどしかいなかったので嬉しかったです)のFBFにもなってくださったこともあり感激も一入でした。
????3-3????今日は日が暮れてから母に会いに行きました。
日中は暑くて網戸にしてあっても、日が暮れると急激に空気が冷え込んでくるので、
自力で体温調整が困難な母にとってはきめ細かい視線や思いが重大だと思っているからです。
母は私の手を強く握ったまま離そうとはしませんでした。
もし、私が今の母の立場であっても そうしたはずです。
込み上げてくる涙を 何度も拭いている私の姿を、何人かの職員(看護師、介護士)の方に見られて 私たち親子の心情に気づかれたかたがおられたかもしれません。
母の目にも一筋の新たな涙がまるで線を描くような雫のように溢れていました。
古い涙跡も残っていましたが、それらに寄り添うことの出来るのは、
矢張り68年前に第1子として期待されてこの世に産んでくれた(くださった)長男でもあり
又そのように育てられたこともあり 母の寿命のキーパーソンでもある私の天命と有り難く思いながら、
そして そっと涙を拭いながら、笑顔を交わしました。
かつて、80歳を超えた老いた車椅子の母を伴って、亡き父との思い出を辿るような追憶の旅を地球狭しと飛び回った時の母との共通の思い出が鮮烈に蘇ります。
質素倹約を身に付けてくださった(くれた)母、
亡き父(長男)と共に祖母を看取ってくださった(くれたとはとてもいえません)母(長男の嫁)、
戦時中を生き延びた両親には人生にロマンというか華がありました。
母の後姿には、明るさの中に いつも忍耐の文字が写っていました。
今晩も、詩吟10段の母に 母の部屋にあった詩吟のテープを持参してイヤフォンで聴いていただきました(聴かせましたとはとても言えません)。
一昨年の4月に亡くなった義母が私の妻(義母の長女)の手を強く握り締めて離さなかった場面に何度も立ち会っていたから、尚更込み上げてくるものがあるのです。
先日、美祢市での火災の延焼で祖母の実家の老夫婦の命だけが助かった事も考慮して、山口市内で予定していた母との世界旅行写真展は暫く延期する事にしました。
深夜に、自宅2階の自室へ戻ると室温は30度を超えていましたが、仁保川側を網戸にしてカーテンを閉めていると たちまち24度迄下がりました。
このままにして睡眠をとると風邪をひくところでした。
皆さんも、気を付けましょね。
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