#私の生涯で2人目の人に贈る花を思う 】(facebookより移行/一部追記)
半世紀振りの再会は出来るのだろうか。
半世紀間消息が分からない人。
吉田恵子さんという名前だけしか分からない人。
もし消息が判り、
元気に暮らしておられる事が解れば、
花を贈る事が可能であれば、
再会が可能であれば、
そして今、その人に初めて贈る花のことを考えています。
贈るという私のDNAには、
先程Facebookへ掲載した百合の花のように、
自宅の花壇で10年間毎年咲き続けた佐渡ヶ島の百合の球根付きの花を贈る事が出来たら、
贈る方の自己満足ではありますが、思い出の絆がより一層輝く様な気がしてきました。
未だ未だ、
花瓶等持ち運びや、見た目の事等考えなければならない事もあるけれども。
50年前、大阪での学生時代。
家業を継ぐ為に学んでいるのに、
好きになった人がもしも一人娘や姉妹の長女だったら養子にいく可能性があり、
それら(恋愛)を避けるための精神的にも過酷な青春を過ごした。
そして、ようやく卒業迄漕ぎ着けたのに その卒業間近にして気が緩んだのか、唯一一度デートしたその唯一の人が彼女でした。
そして、音信不通の半世紀間経過して お互いに70歳を過ぎた年齢になっている。
彼女を心斎橋で卒業制作作品用のモデルとしてスカウトした同級生の兵庫県の写真館の娘さんKa.Kuさんに先日メールで聞けば、
彼女は私達より年上かもしれないという。
生きていても、お互いに今日死ぬ程の健康寿命状態にある…。
何だか、私のDNAにはその(最初に書いた)様な花の贈りかたの方が自然な様な気がしてきました。
見た目の派手さや豪華さや珍しさ等で、心&思い&誠意を伝える事に対して、
50年前に彼女と出会った頃の 、親から仕送りされて学んでいた学生時代の本来の私らしさが 薄れていく様な気がしてきました。
私が生涯初めて花を贈った人。
それは今から32年前の1987年(昭和62年)社団法人 日本青年会議所 副委員長時代で、私が38歳頃でした。
32年前に出会った当時28歳頃のSi….Ka……さんとは全く異なる形&意味&思い&内容の花の方が、
その約20年前つまり今から約半世紀前の私が学生時代に出会った吉田恵子さんには似合うと思う。
かつて、私が聞きもしないのに 私の母から聞かされた両親の新婚初夜(童貞と処女が結ばれた)のことが私のDNAに遺伝しているのだろうか。
私は妻との結納後も一線だけは引いていた自分のDNAだからこそ、
このふたりの女性にも同様に接する自分のDNAとの出会いに神秘を感じています。
俗にいう、
一般人から見れば、例え異常に思われても、私は私のDNAの神秘で稀少な魅力である事が好きです。
photography: #パピョンのレオと散歩中19時6月22日夏至saturday2019令和元年
背景の仁保川対岸に見えるピンクの建物が末永写真舘山口新舘。
山口市水道局のブルー色したの巨大タンクの左端に見えるオベリスク迄が末永写真舘駐車場。
70数mの横長の敷地を #私の世界観として#輝清ワールド#末永テーマパーク の様に #ロケーション撮影 出来る様に14年かけて制作中。