#世の中のDNA分布図の絶妙なバランスを思う 】(facebookより移行)
 7月18日Thursday2019年(令和元年) photography:Thursday monument’s.
 現在Instagramはコメントやいいねが出来ない状況が続いています。ゆめタウン2階のソフトバンクによれば、毎月20日になれば復旧するそうです。
 iphoneの機種を新しいものに買い換えれば良いそうですが、ランニングコストが月額1万円を超えるそうです。
 #車椅子の母と共に40ヵ国 #夢の世界介助旅行」に纏(まつ)わる書籍の編集が終われば、Facebookへの投稿を減す事が出来るので、其れ迄多少の不具合は我慢しようと思っています
書籍は自分用に少部数製本予定です。
#編集ポリシー
書籍の内容は、 旅行行程中心ではなくて
#何故81歳の車椅子の母親を伴って還暦前59歳の息子つまり同居の長男の私が人類史上前例のない世界一周介助旅行を始め年間2度のペースで約8年間海外介助旅行が継続出来たのかを
家族や #親子の人生観や世界観等を検証しながら分析していきたいと考えています
#介助旅行に於ける費用と時間について
何れにしても、職業やその人の生まれ持ったDNA運命によって大きく変わってはきますが、我が家の場合は三世代に渡って良く働く事は つまり時間的にも自動的にも質素倹約精神に結び着きました。
職業柄的にも 定まった休日があるわけでもないし、予約がいつ入るか定かではないので、
そういった事情で 高級車やゴルフや晩酌や美食や宝石等々には余り縁がなかったようですから、その分の費用と時間だけでもゆうに世界一周介助旅行は可能ですよね。
それら一般的に誰も同じ条件ともいえる事が骨格とすれば、
次に示す意思というか決意というもので全てが決まると考えています。
つまり、「高齢で車椅子生活になった母親を伴っての世界介助旅行」を人の身体に例えると、背骨内の神経系統や毛細血管ともいえる部分で全てが決まると考えています。
#介助旅行に於ける費用と時間以外に大切なこととは
私の生い立ちや両親の生い立ちや祖父母の生い立ちや其々の社会情勢に於ける様々な体験&経験を通しての感性の形成は血や肉のように位置付けられるのかもしれませんね。
つまり、高齢で車椅子生活になった母親を伴っての世界介助旅行を人の身体に例えると、背骨内の神経系統や毛細血管ともいえる細やかな部分、
更に分かりやすくいえば その人の「心の姿勢」のような「思い」や「感じる力」や「感じかた」で全ては決まると考えています。
それは煎じ詰めれば、その人が持って生まれたDNA運命によるものだと私は体験上その様に考えています。
私の場合は、
何度も流産仕掛けたなかでの出産の事を25年前の母の随筆集自費出版本で知る、
小学校2年生の時の橋の上から投げられた石が私の眉間に的中した際の治療中の私への母の言葉や、
小学校3年生の頃、当時木造二階建て広い二階廊下や階段や待合室や着替え室やスタジオ等々の雑巾掛けを自分から両親へ御願いして許可を得て毎朝させていただけたこと、
小学校5年生の時お願いした事、つまり小学校6年生になったら1年間だけなら新聞配達をしても良いと両親から返事を頂けた事、
自分がしたいことをさせていただけることほど人にとって有り難いことはないと思っています。
初めての給金を母へ渡した数日後 私名義の郵便貯金通帳を作って下さり、
それが私のアイデンティティの目覚めとなり貯金等を通して多くの体験が私の人としての基礎を形成したといっても過言ではない程重要な経験に繋がりました。
美祢市立伊佐中学校と山口県立大嶺高等学校時代はスポーツにどっぷりと浸かった怪我と挫折との共生生活を送りました。柔道3段、水球で国体インターハイ各2回計4回出場。
家業を継ぐ為に営業写真学科のある唯一の日本写真専門学校へ、二大障壁(文化と恋愛)を克服して卒業後、
田舎へ帰郷して父を手伝いながら山口県美祢(みね)市伊佐町の自宅から夜間に学べる唯一の大学 福岡県北九州市八幡に位置する八幡大学の二部(夜間)商科へ進学。
その間、旧厚狭郡山陽町(現 山陽小野田市山陽町)の自動車学校で車の運転免許証を取得後、
美祢市大嶺町美祢駅前通に位置する末永写真舘から厚狭郡山陽町に位置する山陽本線厚狭(あさ)駅前に位置する親戚迄自家用車で通い山陽本線からの九州本線へ乗り継いでの学び後卒業後、
祖父清弌の影響でカラー写真総合現像所を創業。
その間、父の戦争体験の影響でミクロネシアのトラック諸島へ戦争の痕跡と島民の生活を確認して撮影する為に小学校6年生の時から延々と貯蓄していた郵便貯金を全額を下ろしての
カメラひとり旅として私の初の海外旅行に繋がり現地モエン島(春島)で22歳の誕生日を迎えました。
下関市丸山町の母方の親戚へ真っ黒に日焼けした顔で訪ねた際、そのことをキャッチされた毎日新聞社からの取材を受けて日曜日の対話欄に記事として取り上げられ、
その後援を得て博多岩田屋と下関大丸と宇部大和等で写真展開催、その後 写真集「南太平洋の泉/トラックラグーンの人々」の自費出版へと繋がりました。
因みに、下関大丸での写真展を観られた方から私の母方の従兄弟山田嗣成さん(彼女の家庭教師だった縁)を通して結婚を前提としてのデートをしましたが、
当時は車社会における道路網の整備が追いつかず自家用車で彼女の自宅迄の片道1時間以上は当時の私の仕事環境ではとても2度目のデートは出来ませんでした。
もし、2度目のデートが実現していたら私は結婚したと思います。
私は結婚を前提としない恋愛やデートは全く皆無の人間でしたから、すでに1度目のデートで結婚したい意思がありました。
従兄弟が「輝ちゃんの片腕としてよく働くと思うよ」と私が仕事で時間が取れない事を察してからなのだろうかその後何度も何度も電話をかけてくるほどのお勧めの人でもありましたから。
宇部大和では正面玄関頭上に大きな垂れ幕まで準備して下さり部屋も広く準備して下さり美祢市から近い印象(時間的には自家用車で片道1時間はかかるのに商圏が同じ印象)も手伝ってか大々的な写真展となって、
私の両親や祖母フデ達家族も駆けつけ、更に近い将来(成人振袖写真を当写真舘で私が撮影したり、ずっと縁を感じていましたがその頃はまだ結婚の意思はありませんでした)私の嫁さんになる人もそのお母さんと共に写真展会場に来場下さいました。
税理士 会計士や司法書士 弁護士等との折衝もある為に高校の同級生で慶應卒で彼の結婚写真撮影依頼を受けて出張撮影したこともある 真瀬義雄さんの勧めもあり慶應義塾大学通信教育学部法学部で学び夏期スクーリング中に高鳥正夫教授より卒論指導を受けたり、
父方の従兄弟末永繁一さんが在籍していた東京大学へ何度か赴きその際に伊藤正己教授の英米法等を聴講したりしました。
因みに恩師伊藤正己教授はその後東大を退官職されて最高裁判所の判事になられました。
未だ未だ書ききれませんが、
そういったファクターを膨大な時間を掛けて、一つ一つコラム風にFacebookやhome page & Blogに認(したた)めてきましたのでそれらを中心に家でいえば柱(棟上げ)部分と捉えて、
それらにない部分を屋根や壁的に構築して編集したいと考えています。
#既にある編集材料をどのように章分けするか
Facebookには約5年間、そしてhome pageには約14年間認(したた)めてきたものを中心にして、
母の遺品等や散在している関連するものを抜粋してそれらを加味してこの夏休み中に大まかな章分けに伴う目次等編集を行う予定です。
今年の5月の「母 敦子一周忌並びに祖父 清弌五十回忌の法要」にも 間に合わず2年間延び延びになっていますが、
それらも年表等に書入れようと考えています。
#何故体験を書籍に纏めようとするのか
10年前に 母と飛行機のビジネスクラスに搭乗した際、キャビンアテンダントさんから「息子さんが母親を伴って世界旅行されるのを初めて見ました」と言われて初めて今の社会はそうなのだっと驚いたからでした。
世界に前例がないのであれば高齢化社会に役立つのではないかという思いで、それから約8年後、大学院でそれらを修士論文に纏(まと)めようとしましたが、世界中にそれらの研究者がおられない事が判明しだからでした。
#私の場合の介護介助とは母と同居する時点で自分の人生を諦める覚悟から始まりましたが10年経ってそれは崇高な修行であり新発見の連続の期間でした
マザコンと揶揄(やゆ)されながらも、何故信念を曲げないで遂行できたのか。
それは、私の女性観や結婚観や文化観をも左右した家業継承という使命感への真摯な姿勢がその原点にあるように考えています。
実は、それこそが自分の意志さえも決定付けられていると感じてきたものがDNA運命と考えています。
十人十色の様に、DNAもその分布を絶妙にバランスを取っている様に感じながらこれ迄過ごして来たからです。