[352]半世紀振りの再会 Half a century old friends(半世紀昔の友人)

投稿日時:2018年12月13日  カテゴリー:自分史  タグ:なし
【半世紀振りの再会】(12月10日mondayのfacebookより文章のみ移行)
京都出身で長野県等全国を転勤されて退職後の現在は名古屋市に住んでおられる友人S.Oさんが、
京都での説教や講演をされた翌日の本日2018年(平成30年)12月10日monday、
山口県美祢市出身で現在は山口市に住む私に 態々(わざわざ)会いにきてくださいました。
それは実に、半世紀(50年)振りの再会でした。
彼と初めて出会ったのは、京都の彼の母方の伯父さんの写真舘を継ぐために日本写真専門学校へ入学された時(の同級生時代)でした。
彼は同校卒業後の数年後同志社大学神学部を卒業後 牧師の道を歩まれ退職後新発見に伴う新説論文を書いておられます。
その論文とは別の彼の著書2冊を初め色々頂いた上に、本日 当館写真スタジオでの私による遺影用の撮影を依頼されました。
自分自身が元気なうちに、自分が気に入った人に自分の遺影写真を撮影修整制作してもらって準備する人は長生きしているからと。
そして 縁起というか後世に残る最も重要なもの(写真)でもあるので料金は当たり前に受け取って下さいとのことでした。
私は以前から、人の一生&人の寿命は予測出来ないからこそ、
10年以内か せめて10年おきにはポートレイト(肖像写真)で自分の存在を写真に記録しておく事は、
後へ残る悲しみに暮れる家族の人への最低限の責務(マナー)だとしみじみ感じていましたから、
頷(うなず)けるものというか共感するものがありました。
私は遺産の中で毎日目にするものつまり故人の面影を色濃く残して一瞬で本人を思い出せる写真ほど重要なものはほかにみあたりません。
その後、
同志社大学神学部時代の彼の友人M.Sさんのお孫さんが今朝誕生されたそうで急遽(きゅうきょ)予定時間と合流場所を変更してお会いする事になり、
S.OさんからM.Sさんを私に紹介してくださいました。そのM.Sさんとも大学卒業以来40年振りの再会だそうでした。
グリーンニリッジビジネスホテルで合流しチェックイン後、
3人で湯田温泉街における 彼(M.Sさん)のお薦めの魚の美味しいお店へ私の車で移動して楽しく会食をしました。
ネオンが眩(まぶ)しい湯田温泉街メイン通りを引き返してM.Sさんをビジネスホテル駐車場まで送り届けて別れを惜しみつつ、
末永写真舘迄戻り 先程撮影したS.Oさんの写真のセレクトの続きをし、
当館写真スタジオに興味を持って頂いた様子でしたので、
タクシーが到着する迄の時間に案内をさせていただきました。
写真は、その際にスナップしたものです。
とは言っても、
10年間の私の母との同居生活に加えて義母(私の妻の母親 )の看病 介護 介助に纏(まつ)わる私の妻は
運転免許証を山口県美祢市美祢駅前通りの住んでいたときは必要無かったので返上していましたので、
山口市に移動してからはタクシーや高速バス(数年後廃止になり生活に大変困った)やバスの数回にわたる乗換に伴う
かなり長い距離を冷たい風雨のなかを思い荷物を抱えてその乗り換えバス停迄の歩きとそれらに無関心に伴う心のすれ違い等々を身近に見ていた私には
私の妻の病状を更に悪化させるものが解るから私自身も苦しい時代でした。
その後、
酒もタバコも飲まない彼に合わせて、自動販売機の缶珈琲(コーヒー)に温まりながら、
彼の宿泊先のグリーンリッジビジネスホテルのロビーで、
彼の論文史料を前にしながら、
その背景に纏(まつ)わる 現役の仕事を退いた時期だからこそ漸(ようや)く本格的に着手出来る環境に置かれた自分の立場等々を交えながら、
夜遅くまで会話に没頭しました。
私の人生で最も充実した時間の内のひとつでした。
古稀70歳を間近にまで生きて来れて、
このような充実した時間を過ごすことが出来るとは夢にも思ったことがありませんでした。
私にしてみれば、今年初めての忘年会的なものが心の何処かにあったような気がしないでもありませんでしたが、
もう1人の かつて の私を見出す貴重な時間でした。
カトリックの懺悔(ざんげ)的な私の弱音というか迷いのようなものに対して、お酒でストレス解消する術(すべ)に頼らずとも、
今の私に出来る術(すべ)が存在する環境に浸(ひた)る等身大の自分を鏡に見る思いがしました。
プロテスタントのピユリタン清教徒というかピュアな生き方を垣間見られる程の私自身のDNAに備わっている芯の強さを大切にしようと思いました。
それは、国際ロータリーの創始者ポール・パーシー・ハリスが3歳から17歳迄祖父母と暮らしたヴァージニア州ウォーリングフォードの田舎町を始め、
アメリカ東海岸へイギリスから辿り着いたピユリタン清教徒の先祖から厳格な家庭生活を、
私の妻と訪ねた頃の脳裏の映像がオーバーラップして行き交いました。
先日Christmas presentとして彼の著書2冊と共に同封されていた「旧交を温める旅行」と位置付けられたコース計画表に、
わざわざ私を加えて下さったのかと思うと感激の涙が込み上げてきます。
彼S.Oさんは 同じ月生まれの丁度1つ年上ですが、
人は現役を引退してからでないと出来ない事についても、あらゆる事例を基に話してくださいました。
70歳に成らないと見えてこない事へのブレない 飽(あ)くなき探究心や情熱等を感じる事が出来るほどのスケールの大きな人物に出会えた日でした。
105歳迄現役医師としてその名を馳せた日野原氏の人間性の側面についても、
その一歩踏み込んだ多次元的な彼の世界観に接する事も 私のDNAを擽(くす)ぐる要因となったように回想しています。
滅多に感心しない私のDNAが、彼のDNAの波長の偉大さに7時間釘付(くぎず)けになる程でした。
因(ちな)みに、昼間(日中)は開店中(営業 仕事中)だし、夜も写真の仕上げや色んな準備期間故に、事前に予定は立てていたものの彼の観光に付き添う事は出来ませんでした。
あぁ それなのに逆に、私の心中を気遣ってか、関連する会話の中に山口市内を1人で散策された際の確かな現状の憂いを高度な専門的な視点からその感想を述べて下さいました。
別れ際に握手をした際、また会いたいと念を押されました。
再会を約束することがいかに健康に気をつけなければならないかが身に染みて解っているからこそ、
お互いに死ぬ迄もう会う事は叶わないだろうという私の心中を推し量るように、彼の方から握手を求めて来られました。
私は無心に両手で強く握り返してお辞儀をしていました。
何時(いつ)もの私でしたら、この際だからと その後1人でそのすぐそばに位置するスナックに本能の的に足が向いてビールを飲みたくなるのですが、
何故(なぜ)か 人生初のホットウーロン茶2杯で日付が変わる前に22時以降料金2割り増しタクシーで帰宅の途につきました。
お店のママさんや店員さんもアルコールを勧めること無く、私の今の心境の世界観に浸(ひた)っている様子を大切にしておられるように感じました。
末永写真舘4代目の私の息子たちにも、彼のような友人がいれば心が救われると思いました。 . facebookに掲載の了解を得ましたのでupさせていただきました。