[340]風を感じた日/あるライダーとの物語A day when I felt the wind / a story with a certain rider
2018年(平成30年)8月5日sunday.16:29.
8月6日monday.72年前広島原爆投下日にfacebookより移行
.
山口市大内御堀六丁目3番1号(水道局隣/仁保川沿)末永写真舘 三代目館主 末永輝清
SUENAGA photo studio / JAPAN
photographer / TERUKIYO SUENAGA
.
【HP更新しました】 http://suenaga-photo.com
【BLOG更新しました】 http://suenaga-photo.com/blog/
【twitterは操作の練習中です】 https://twitter.com/terukiyosuenaga
.
【風を感じた日/あるライダーとの物語A day when I felt the wind / a story with a certain rider】
先日、年に一度のMRYやエコーやCTや尿&血液検査等定期検査の結果を聞く日よりも早い繰り上げ日程の連絡がありました。
更にレントゲン撮影等精密検査があり、その説明を受けながら手術をする旨を表明せざるを得ない状況になってしまいました。
しかしその後、3時間以上待たされている間に不安になりました。
そして、翌日手術といわれましたが、私の母の初盆の事もあるし盆明け若しくは手術を延期したい旨を話しましたが、一応更に専門医との打ち合わせをして欲しいと諭されました。
それなのに、この酷暑の中、我が家というか末永写真舘山口新館の駐車場入口のオベリスクから駐車場や箱庭やエントランスそして玄関迄の約45mに及ぶ花壇の面積を狭くすること約1週間。
1日に何度も風呂に入らなければならない程の汗ビシッショリ。
何度も意識がなくなりかけて、オベリスクの陰に逃避を繰り返したお陰で、何とか新築以来約13年振りに手作りの花壇を自分の年齢に応じた改修の目処がたちました。
この写真の後の夕暮れ時に、汗ビシッショになりながらもその花壇等の微調整や草引きをしながら、心地よい風を感じました。
私にとっては、もう夏は過ぎたような気持ちになりました。
先日の初のfacebook不具合のお陰で、何故か4年前に転属された方のfacebookが突如ポツンと現れました。
facebookでは1度も交信した事がない人なのに。個人の携帯電話番号も知らないのに。彼は私の携帯番号を知っていましたが。
早速、今月の私の母の91歳の誕生日までに出版する予定だった本の編集の事をメールをしたところ、希望を叶える手立てがある旨の返事がありました。
私にも出来そうな内容でしたから、明後日の日曜日にこちらへ来てMac操作して教えて欲しい旨を伝えたところ、
土曜日の晩に、明日9時半頃にこちらへ到着する返事がありました。
それが今日でした。
今の私にとっては、今日しか、この夏では空いていませんでしたから奇跡でした。
彼とのパソコン前での打ち合わせも、何度も席を外して自宅で横にならなければならない程 我が身が衰弱していましたが、それでも私にとっては価値ある意義ある日でした。
外では工事中でしたが、コンクリートが固まる迄に確認しなければならない事もあり、室内のパソコン中でも気になるから何度も外の現場へ足を運びました。
この写真の後 暫くして、彼はオートバイで県外の自宅へと 風を切って心地よい爆音をなびかせながら高速道路方面へ消えました。
まさか、温厚な彼が私生活ではライダーだっとはね。
因みに、私は父からの約束させられた通り、1度もオートバイで走ったことはありません。
戦後、4輪車社会の前の2輪車時代に、まだ舗装されていない砂利道時代に対向車のバスを避けようとして路肩の砂利に足を取られ谷底に落ちた父。
父は、この時 足首を完全骨折して仕事の中断を余儀なくされた苦しい期間があったからでした。
ところで今朝、彼が4年振りの挨拶を丁寧にしようとしたのに、私は一気に本題に入ってしまったので何だか申し訳ない気持ちが心に燻っていた1日でした。
また、久し振りに2種類のセメントコテを使用して、若い頃何でも自分でしていた頃が懐かしく思い出されました。
私の場合は、仕事に追われて 1秒という時間が貴重だった若い頃が 人生の源のような気がします。
今は、その当時頑張ったその余韻の人生のような気もしないでもありません。
仕事に命を掛ける(ていた)証に、半世紀前(2人)と30年前(1人)、そして10年前(1人)に出会ってくださった人のこと(心の機微との対峙)と共に(を心の支えとして)これ迄生きてきました。
自分自身のDNA 運命 本能 に感謝と懺悔(ざんげ)を感じながらの、自分の心との対峙の生き方でした。
私が人生をやり替えたくないと強く思う気持ちは、そんなところ(部分)に垣間見ることでも納得できます。
私にとって、これ以上の出会いは勿体無いと思っています。
一度きりの人生。だからこそ、その時の自分に正直に生きてきました。私は自分のDNA 運命が魅力的で好きです。
私の母が亡くなって間も無く初盆を迎えます。
壮絶で眩(まぶ)しくもあり、苦しい中にも人生を前向きに捉えて明るさを失わなかった、そんな母を見送る事が出来た今。
後は自分の家族のことと、自分自身の寿命に纏(まつ)わるのこと(両親から強く頼まれた沢山の未実施事項も含めて)と共に最後迄私に託された運命を、
両親や祖父母のように人生を悲観することなく 慢心することなく 熱意を持って積極的に生きたいと思っています。
コメント2件12後藤 公明さん、山口 晴子さん、他10人いいね!
コメント