[343]柩(ひつぎ)に入れたもの A coffin

投稿日時:2018年11月07日  カテゴリー:自分史  タグ:なし
 【柩(ひつぎ)に入れたもの】
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先日、山口県美祢市立伊佐小学校、同伊佐中学校、山口県立大嶺高等学校と同級生だったHN君の柩にあるもの持参してそれを了解のもとに入れて彼は旅立ちました。
彼は、荒くれ者で力自慢の多い柔道部員の中で彼らに及ばぬ体力を補うかの如く勉学に勤(いそ)しみ、年賀状等で「末永キャプテンと共に山口県立大嶺高等学校合格を目指す」といった励ましというか決意の篭(こも)る文面が印象に残っています。
そして高校卒業後 更に進学の際に同じ列車で美祢駅から大阪の環状線迄一緒だったこともあり、更に社会人になっても私の新聞記事を読んだ感想を葉書で寄越(よこ)したりし、
私の長男や次男たちに末永写真舘美祢本館やその道路の真向かいに位置するラボ(カラー写真現像所等)等を任せて、私は私の母親と同居を兼ねた末永写真舘山口新館を設計して山口市大内御堀地区に造成新築した際にも、その新住所へ自分もその近くに住んでいるといった内容(山口市で会う事はありませんでしたが)の賀状等を寄越したりする人でした。
また生涯「輝ちゃん」と呼ばず「輝さん」と呼ぶ唯一の人でもありました。
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実は近年、3~4年前だったかワイキキinハワイ諸島のショッピングセンターで車椅子に乗せた私の母親とアレコレ話しながら夕食材を購入中の私に、
「車椅子のお方は お母さんですか?」と声を掛けて近寄って来られた私より少し年下の男性が 最近のLINでは「輝さん」と書いて(呼んで)いる方がおられますが。
当時の彼Katu….Ara..(明石市)は、91才の車椅子の母親を伴なってこの地を訪れてホテルへ寝かせてから外出されておられたところでした。
何方(どちら)も、自分の母親の24時間介護 介助旅行を始め 全てにおいて手さぐりで孤軍奮闘(こぐんふんとう)を重ねていたので、
まさか世界中に同じ境遇の人が居るとは考えられない孤独な心境でしたので(出会うとは夢にも思はなかったので)、神様に出会った様な衝撃的で奇跡の出逢いでした。
言葉や文字だけが 存在する 罷(まか)り通る この「超高齢社会」。
私がK.Aさんにどれ程精神的に助けられたか。母親と息子。
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5ヶ月前の私の母親の柩には、 私の家族以外からは、 母と同居していないからといって、 誰も柩に入れるものがないとのことでした。
悲しみに暮れる中、 結局、私の母の晩年を10年間看てくれた私の妻が用意しました。
それは、
昔、私の母が私の父とハワイ諸島を訪ねた際か私の母の7人兄妹の内の3姉妹でハワイ諸島を訪ねた際に現地で購入した現地の民族衣装や私の母がお気に入りだったブラウス等でした。
葬儀当時に、姪(私の母のすぐ上の姉 貞子さんの長女 弘子さん)が大分から持参していた靴下やお菓子を、
祭壇の花に埋まった私の母の柩に私の子供(独身3人息子)たちの用意したものと共に旅立ちました。
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以来、少しずつ遺品を整理していますが、
車椅子生活になってもなお世界介助旅行を楽しんだ私の母との思い出があり過ぎて、
例えば数十着のズボンにしても、
ズボンの丈やポケットの位置や角度やサイズやゴムの強さや軽さ等々私と私の母が納得するものを購入してきたので、 それぞれにそれぞれの思い出が蘇って中々処分出来ません。
親子ふたりで世界中の文化を訪ねた際の衣類や靴。
地球を何周も回った靴を目にすると涙があふれてきます。
同居して7年目辺りから紙オムツを着用する様になりましたがそれ迄はお漏らしも無く、
着用後も私の母が愛してやまなかったオアフ島inハワイ諸島へは何度か訪ねることが出来ました。
思えば、
戦時中を学徒動員法で召集されて下関市彦島の軍需工場で飲まず食わず同然の苛酷な世の中を生き延びて、
晩年を地球のパワースポットハワイ諸島で人生を満喫する私の母の姿を身近で看させて頂けて人生の機微を垣間みることができました。
私の母の晩年は、日本が冬の季節は南半球で過ごすことが唯一の楽しみであり心身の健康の最大の励み 目標 生き甲斐にしていましたから。
振り返ると、私が30歳代後半からの10年半の期間を山口県美祢市大嶺町の民生児童委員を勤めさせていただいた際に、
自分の祖父母や両親を看る事も無く他人の母親(独居老人)を色々御世話をする事が出来た経験こそが、
せめて、自分の母親の晩年だけは自分の人生を捧げさせて頂きたいという思いが心の基礎部分にありました。
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あれ程あった私の母の着物が1着もなくなっていること等々は、思い出の写真の中で大切にしたいと思っています。
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本日、私の祖父清弌の弟文雄さんの子供さんとお孫さんが山口市の私の自宅を訪ねて来られました。
昔、祖父が私を連れて行った墓の事を始め、祖父がその弟に託した事などが漸く(ようやく)半世紀以上経過して解って有り難かったです。
どの家族も世代交代して、それぞれが終活の時期にきていることが必然的に家長(長男)同士引き合わせた様に感じました。
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2018年(平成30年)11月4日sunday.27時記.
今日は柩や墓場や人の一生やDNA運命等々に関する家長(宗家の主人/家を継ぐ長男)ならではの役割に関する重要な日でもありました。
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