[326]あるDNA (deoxyribonucleic acidデオキシリボ核酸)の行動

投稿日時:2017年10月26日  カテゴリー:自分史  タグ:なし
【FBより移行編集/2017年(平成29年/68歳)10月26日thursday】末永 輝清→ そうですね。日が当たる時は汗が出て紫外線が気になりますが、日陰になると一気に震えがきます。
一昨年の2015年(平成27年/私は66歳/大学院2回生)10月17日18日が当時88歳の母との車椅子での遠出の最後になり、
以後は、家のそばを車椅子で散歩する程度になっていました。
車椅子の取っ手に何時ものバックを携帯して、やや大きめの声で、時には車椅子を止めて顔を見合わせながら、会話を楽しみながら散歩をしていた頃を思い出しています。
その携帯バッグには、先程の日当たりや日陰対策用に用意したものを入れていました。
私の母は、寒がりなので、真夏の食堂でもエアコンの位置を確認して冷気の流れを読みつつ座席を決めていました。
それでも、カーデガンを掛けたり&のけたりの繰り返しでした。
私の母に限らず、義母の場合も車椅子生活時代はそうでした。
つばの大きな帽子やマフラーや手袋や膝掛け兼用のバスタオルや小タオル、ハンカチ、テッシュ、サングラスなども散歩の必需品でした。
家の近場を車椅子で散歩するだけでも、まるで登山するような感じでしたが、世界中を旅行する際もそんな感じでした。
それは、一瞬の出来事や一瞬の判断ミスが命取りになりかねないからでした。
旅行の嫌いな方や関心のない方から見れば、そうまでしてもし何かあったら責任の追求もきになるっという感じのようです。
何事にも言えることかもしれませんが、行動を起こさない人はややもすれば批判が鋭いというか、それが特徴のDNAを持った人生を全うするためにこの世に生まれてきたわけですから、
そのDNAに対峙出来るDNA人間も必要に迫られてこの世に生まれてきたように思えてなりません。
つまり、旅行が好きなっというかそれが生きがいの私の母にとっては、最大の注意を払ってでも私は実践して、母の喜ぶ姿に人生の機微を感じながら動く為に生まれてきたのが私なのかもしれません。そんな気持ちで今日迄きました。
私の母は、私の父と約10年かけて世界中の先進国を旅行してきました。
17年前に父は亡くなり、11 年前に母と同居用に設計新築完成した建物に、9年前から同居生活を始めた際、嘗て亡き父と世界中を旅した話を懐かしんでいる様子に鈍い私が漸く気付いたことでした。
旅行慣れしていない方や、介護慣れしていない方が、突然慣れないことをすれば殺人行為に及んでしまいかねません。
しかし、私の性格や旅行に関する足跡の一部始終を私の母はずっと見てきていたからこそ、私に一部の望みをかけて話しかけてくださったのでしょう。
老いても尚、安心して世界中やまた近所散策に拒絶反応とは無縁の冒険心を味わうごとく、
私の母の その心のゆとりさえ感じて、その息子である こちらが超高齢社会における「自分」というものを少しずつ解りかけてきたような気がして感謝しています。
十人十色。以心伝心。
分かり合えるということは、心強いものですね。
側から見れば、恐ろしいことのように見えても、それらを超える熱意が全てを解決する何かがあるように思えてなりません。
人のDNAの素晴らしさを感じるこの頃です。
昨日は、大阪と東京から電話があり、2名の新たな出会いがありました。これから、新しい何かが始まる予感さえしてきました。
これ迄諦めずに探し求めてきたことに関する、その新たな人、新たな出会いもまた大切な生きがいに付与されるように願うとともに努めようと思っています。
四季がある国ならではの知恵をこの時期に感じています。