【満月の夜】

投稿日時:2017年06月18日  カテゴリー:続 私の散歩道(1994H6随筆集私の散歩道発刊続編)  タグ:なし

face bookより移行しました。
杉藤 真弓
杉藤 真弓 あら‼️なんて素敵な‼️

 

末永 輝清
末永 輝清 ????有り難う御座います。
日付が変わって今日の夜明け前に、母との会話を思い出しながら資料を整理していて初心を忘れないためにと思って突然UPしました。

 

Onizawa Junko
Onizawa Junko エジプト?

 

末永 輝清
末永 輝清 約20年前に、当時大阪芸大生だった長男と共に訪ねたエジプトのルクソール神殿入口で仰ぎ見たオベリスクを、
約11年前に母と老後用に同居する為の新居を構えた際に敷地内にその縮小判を建立しました。
不思議なことに、当時3人息子にエジプト行きの声を掛けましたが、聖徳太子が生まれたところといわれる田舎にある大学のすぐそばの下宿で暮らしていた長男だけが来てくれました。成田空港だったか、長男と合流した時の懐かしい印象が未だにあります。

次男も大阪のど真ん中での学生生活を送っていましたが、甲子園での高校野球の新聞社のアルバイトで、九州地区の高校が勝ち進むかもしれないのでとのことで欠席。

三男は、陸上競技のインターハイ出場のため欠席でした。

私は38歳頃に世界青年会議所のアフリカ大会がインド洋に浮かぶマスカレン諸島はモーリシャスの首都ポートルイスで開催された際に日本青年会議所としてはアフリカ大会へは初参加のその代表の一員として訪ねたた際、その後 南アフリカのヨハネスブルグやケープタウンなどを訪ねました。

この時が私にとっての最初のアフリカ大陸上陸の第1歩でした。

その今から丁度30年前のその訪問以来の、今から丁度20年前の2度目のアフリカ訪問でのこのエジプトのオベリスクどの対面でした。

以後、3度目のアフリカ大陸へは、今から丁度10年前の2008年(平成20年)2月、私の妻と共にモロッコを訪ねました。

その翌年の今から9年前の2009年(平成21年)1月に当時81歳の母を伴って当時59歳の私が4度目に訪れた国はジンバブエやケニアでした。

5度目のアフリカ大陸訪問は、今から8年前の2010年(平成22年)6月、当時の私が61歳の頃で、私の妻と共に訪ねたエジプトでした。

 

Onizawa Junko
Onizawa Junko とっても、神秘的ですね。すばらしい。

 

末永 輝清
末永 輝清 Onizawa Junko さん
出来るだけエジプトのルクソール神殿のオベリスクに近い色をした石を探しました。

 

津野恵美子
津野恵美子 niceshotです(≧ω≦)
末永 輝清
末永 輝清 嬉しいです????
このオベリスクの基礎の御影石に母の随筆作品『夜空』を彫りました。
時折、散歩する人だか、立ち止まって読んで下さる方をお見受けします。
実は、初めは、地元湯田温泉出身の中原中也の詩にするかどうかと考えた時もありました。しかし、亡き父と私が登場するこの毎日新聞はがき随筆年間大賞作品にしました。

不思議なことに、この大賞作品の審査員3名の中に中原中也記念館名誉館長で母と同じ歳の福田百合子先生もおられました。

また、同審査員の詩人和田 健先生の奥様は高齢で動けない御主人に代わってわざわざこのオベリスクの基礎石に彫られた作品を見に来られました。

もうひと方の審査員は、当時 毎日新聞山口支局長 永守良孝さんでした。彼はその後御出世されて東京転勤されてその実力を発揮されたと最近風の便りで耳にしました。

後に、この大賞作品が彫られたオベリスクを建立した際の2007年(平成19年)4月11日wednesday付けの記事を書かれた同社若い地味なそして何度記事を読んでも感動が蘇る素晴らしい取材力の持ち主島田信幸記者も風の便りによると東京転勤されてその取材力を発揮しておられる旨を耳にして嬉しく思いました。

因みに、彼は2007年(平成17年)4月15日friday付けのはがき随筆平成16年度賞大賞の取材記事も担当されてその取材力に母と共に驚くと共にファンになった思い出があります。

今から23年前の1994年(平成6年)8月28日、当時の母は今の私より1歳若い67歳の時に『随筆集 私の散歩道』自費出版披露会を美祢グランドホテル大宴会場にて地元の母の友人によって開催されました。私が45歳で、次男が通学していた山口県立高校のPTA会長を務めていた頃でした。

その後の23年間に母の人生の転換期を迎えました。

今から16年前の2001年(平成13年)12月父が亡くなりました。

享年80歳でした。当時の母は74歳、私は52歳の頃でした。

今から12年前の2005年(平成17年)5月15日の大会には、その前年に毎日新聞に掲載された随筆作品『夜空』が2004年(平成16年)度年間大賞受賞しました。

今から11年前の2006年(平成18年)正月にここ山口市大内御堀991-2に母との同居を想定した家を新築完成し、

その翌年の2007年(平成19年)1月にこのオベリスクの基礎の御影石にその作品を石材店社長の勧めに応じて私の筆跡で彫みました。

今、丁度10周年。

その翌年の今から9年前2008年(平成20年)10月、私の従兄弟(私の母の姉 長女清子の長男)夫婦の勧めもあり、今から9年前に当時81歳だった母と同居を始めました。

その頃から、母は投稿をしなくなりましたが、今から8年前の2009年(平成21年)1~2月と8月の2度の世界一周旅行をはじめとする沢山の思い出の中に母と共に書いた未発表作品といっても未完成作品が沢山ありますので、これらを先の大賞作品などと共に纏めて母との約束どうりの『続 私の散歩道』を制作したいと思っています。

長くなりましたが、私の自分史の資料にもなりますので書きたい時にその都度書かさして頂いていますので気にされないでくださいね。