[339]ある秘密(5件) A secret (5 cases)

投稿日時:2018年08月06日  カテゴリー:自分史  タグ:なし
(FBより移行文)【現世における自分探し】 静岡にいます。
1.【 ある日帰り 】Yosi..Naka..→銅像作られるのでしょうか????1
末永輝清 はい。 13年間検討しました。2
Emi..Ko…→ 末永さんの銅像?ですか? それともお母様ですか?1
末永輝清 祖父母像と両親像です。2
EK 2 末永輝清 →EK さん 今、名古屋で のぞみ号に乗り換えました。2
EK→ 末永輝清さん。日帰りなのですね! お気をつけて。1
末永輝清 有り難う御座います。 朝5時過ぎの1番早い便で出て、1番遅い便で帰宅中です。2
末永輝清 漸く 新山口駅で山口線の最終便に乗り換えました。2
Emi..Ko…→末永輝清 さん。仕上がりが楽しみですね! リアルかもしれない…静岡でないと作っていただけないのですか? · 3日前
末永輝清 →EK さん 付きっ切りで希望を伝えましたが、細部はこれからでしょう。
製作業者を必死に探していた頃は、中々縁が繋がらず仕舞いでした。ひょんな(意外な)事(約20年振りに会った人)から縁があった所が、偶々(たまたま)清水の次郎長所縁の近くの地域でした。
昨夜、美祢市の末永写真館をはじめ数軒の家屋や庭の手入れをした後 22時過ぎに山口駅へ行って新幹線の往復切符を買いました。
出来れば、夜行バスで東京まで行って新幹線で静岡まで下る予定でしたが夜行バスの出発時間にはまだ美祢市に居ましたので山口市湯田温泉発に乗車する事は出来ませんでした。
また、三島駅で下車して日本ロータリーの創始者米山梅吉記念館を訪ねる夢は今回も時間的に敵いませんでした。
まだ結果を見ないと何とも言えませんが、担当者は私の独身の三男と同じ歳の独身で、中々の人物でした。2
末永輝清 →EK さん 山口市の自宅へ戻りました。 たまたま妻は美祢市の自宅へいます。
世の中不思議なことだらけ。
誰も家族も知らないことを、今回偶々facebookが不具合になって新規開設するような表示が出た為、数人のfacebookの友人だけに私の秘密を伝える形になってしまいました。2
EK→ 末永輝清さん。そうだったんですね〜! 出来上がったら拝見したいものです!2
末永輝清 →EK さん
有り難う御座います。それなりに苦心しての縁とその結果故に、これを機会にお会いできれば幸せます。お会いした事がないfacebook friendsと会った事は無いので、一番最初の人になるかも知れませんね。
2.【 予告なしで世界一周 】
車椅子の母と世界一周介助旅行の時も誰にも告げずに(私の妻にはおおよその旅行期間程度は知らせましたが)出掛けました。
いちいち説明していたらそれだけで数日間経ってしまいます。
1ヶ月間の旅行日程だけでも聞く人への心配事を加味して話すと何時間も掛かる程だし、出発迄の準備やこなしておかなければならない事もあるしね。
今回も、完成したらそれなりにfacebook等にアップしようとは思っていますが、完璧にはならないと思っています。
私の性格は人を褒める事は ほぼ有りません。
人生、その時の 縁と勢いと妥協ですね。 世の中完璧はありませんからね。
私がうなることはほぼありえない性格ですからね。
見にこられたら、がっかりされるかもね。
それでも、今日 祖母の骨格の指示をしている時、私が幼い頃祖母と一緒に五右衛門風呂に入って話してくれた会話を思い出して思わず涙をタオルで拭うこと2度もありました。2
EK→末永輝清 さん。思い出は尽きませんね〜
末永輝清 →EKさん おはようございます????
3.【 水は命 】
昨日は玄関前の花たちに水遣りをしないで山口市の我が家を飛び出したので、心配でしたが これから命の水を捧げさせていただきます。
今回の13年振のリニューアルに合わせて、駐車場に沿った細長い花壇を幾分管理しやすいように狭くしながらデザインを変えました。
睡眠を妨げる肩や脚や両手の指の痙攣(けいれん)の原因の元に気付くまでなかなか解らず高齢とともに鈍感になっていることに、今文章に書きながら気付く始末です。
そういえば、13年前の新築開館前の準備も同様に右肩が上がらない程でしたから。
しかし、植物はまるで鏡のように正直なので、その当時の自分の心を現しているように思えてなりません。
私の父がかつて終戦間際にルバング島で、気を失っていた際、
何と米兵が自分の水筒の水を対戦国の敵兵の父に飲ませて、父の意識が戻り、何と米国の夜戦病院で1ヶ月後に自力歩行が出来るまで回復した程でした。
この酷暑続き日の朝に人間にとっての命の水と同じ水を庭の植物に水やりをしながら当時の戦場の様子を空想しています。
10年前、母と同居した際に、まだアメリカ人に父を助けたその御礼を言っていない事に心にわだかまりがあることを知って、パールハーバーロータリークラブの例会日に母と訪ねました。
「あの時、父に水を飲ませていただいた御蔭で、 私はここに立つ事が出来ました」と御礼を申し上げた時の母の安堵した様子を思い出しています。
また、 もう一つの私の母方の祖父母像と私の義父母(妻の両親)像は、用心をして今回は延期しています。
縁があれば違う工法になるかも。
何れにしても、私の今があることの大切な人物ですから、それなりに記録させていただきたいと思っています。
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以前のfacebookに書き綴った文章が消えているかも知れないので、思い出したことをそれなりに自分史用に書き留めています。
長文になったりしますが、気にしないでくだされば幸せます。2
EK→ 末永輝清 さん。ご両親様や末永さんも色んな経験をされて来られたのですね〜銅像を見て又、色々、思い出されるんでしょうね〜2
末永輝清 →EKさんのように、お母さんとの思い出がないままの方のことを思うと、言葉が出ません。
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4.【 現世界における異次元の世界 (母の瞳に映っている私の心) 】
私は 母親との思い出が沢山あればあるほど、異次元の世界を観ているというか 歩いているような気がしています。
今日も、介護中の母親の目が瞼(まぶた)に浮かび、運転中の車を停めて涙を拭ったものでした。
❶元気な時の母親の私を見る目。
❷老いた時の母親が、同居している私を見る目。
❸車椅子生活になって世界介助旅行中に、私を見ている母親の目。
❹車椅子を押しながら、 家の近場をまるで世界一周旅行 いや それ以上の重装備で、日向や日陰の度に帽子や上着や膝掛け等々の装着を繰り返しながら目線を合わせて会話をする時の、私を見ている母親の目。
❺死が迫っている母親が、何時も手を握って話しかけている私を見る時の目。
私にとって、両親や祖父母は神様佛様以上の崇高な存在でした。1
EK→ 末永輝清 さん。私もそんな光景の母を見たかった! 真坂、母が突然 倒れて亡くなるなんて思っても見なかった! 前の日まで働き前の日まで私の就職した会社に顔を出し。その当日、私のお弁当????を作り…今36年経ってもやはり心の中では何処か遠くに旅に出てるのかな?ぐらいしか思っていません!
私としては余命を言われても良い! 看病したかった!色々、聞きたい事、お料理の話などしたかった! 母が居た時は全て母がやってました! 結婚して初めてお米を研ぎ初めてご飯????を炊きましたね〜!2
末永輝清 →EK さん そうでしたか。私にとっては、知らない世界なので 随分ためになります。
有り難うございます。????
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5.【 現世における 自分探しの旅 】
しかし、亡くなる時は すっと 息を引き取るものですね。
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また、祖父が亡くなった後は、毎晩「離れ」(祖父が晩年建てた道路の向かい側の仏間)に渡って、電気もつけずに 暗闇で仏壇に向かって涙が枯れるまで正座して夜明け近くまで過ごしたものでした。
晩年に老いて 人が近寄らなくなった頃に一緒に暮らすと、 お互いの瞳に映る自分の姿を脳裏がというか心が記憶するように思えます。
それが、後に現実世界にいても 異次元の世界を歩いているような 今を超越した次元を観ているようになることが度々訪れることに繋がります。
両親、祖父母が老いて、人が年長者として尊敬しなくなったり近寄らなくなった時が、
何故か私のDNA(運命)は、そばにいるように無意識に決断するようになっているみたいです。
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昔、山口県美祢市の町内で店舗兼住居を閉めて転居される友達の噂を耳にした事がありました。誰にも相談することなしに、餞別を持って訪ねたことがありました。
玄関はシャッターが下りていましたが、裏のドアの鍵は開いていました。
声をかけると、静まり返った室内に私の声が木霊しました。
やがて、二階からコッ コッっとゆっくり降りて来た一つ上の先輩が驚いていました。
「店を閉める主人に対して、別れの挨拶に訪れる人は末永君だけだ」とポツリ。
人というものは、店をたたむ人に対しては 手のひらを返したように変わってしまうことがよく分かったよ っとも呟いて(つぶやいて)おられました。
商工会青年部や青年会議所等で一緒だったのでよく良い意味でのボランティアに熱中して欲しいというある種の批判めいた言葉を彼に対して発した御詫びも兼ねていました。
商工会の本来のあるべき姿が狂いだしたのは、今から30数年前に商工会法が改正されて街つくりにも参画するようになってからです。
青年会議所との活動が共有するようになるとともに、掛け持ち重複する会員が表れると共に、行政もそれらの若い無料のボランティアの労力を期待するようになりました。
商工業の商業の分野を営んで生活をしている会員の定年年齢を40歳から45歳へと延長して、自分の店鋪を閉店してそのイベント等の準備や本番に出向くという最悪状況に行政や商工会指導部がしていまいました。
あれから30数年経過しても、商店経営者としての資質を高めるべく改善されるどころか全く最悪状況に陥ってしまいました。
全国の組織には、この様な後継者を養成するどころか全く潰しに掛かる仕組がまだ現存しています。
生き延びる為には、現存組織に惑わされない様にそれらを断ち切っても尚、信念を持って生延びる心の姿勢こそが必要とされています。
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私は、励ますつもりが 言葉足らずのところがあります。
その為、周りから あらぬ批判を受ける人生でもありました。
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私の父は、南方戦線から奇跡的に復員しました。必死に働く為に、友達を敢えて沢山作らないようにしていました。
私自身もそのDNA(運命)を感じることがありました。
しかし、家業に専念する不屈の精神よりも、どちらかといえば社会奉仕の心地良いことばのイントネーションに誘われて必死に汗を流すきらいが人にはある種備わっているように思えてなりません。
目の前の家業の仕事を蔑ろ(ないがしろ)にしてまで社会奉仕という名の下に参集する悪き(あしき)習慣を無くすことが、不況経済からの脱却延いては幸せな家庭作りが心豊かな社会作りへ繋がるように思えてなりません。
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自分史用を兼ねて書いていますので、何時も長文になって御免なさいね。
 EK→ 末永輝清 さん。おはようございます。末永さんも色んな人生を歩まれ今があるんですね! 色々ありますが1日1日を大事に。お互い過ごしましょう。

SH→完成間近ですね!長年の夢が叶う時が来ましたね。

 
末永 輝清
末永 輝清 →命を削っているような感覚を覚えます。
それでも、生きている感覚も覚えます。
ありがとうございます。
猛暑ゆえ、お互いに気を付けましょう。
2018年(平成30年)8月1日wednesdayのfacebookより移行。
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