[356]FMラジオゲスト初体験 First experience of FM radio guest

投稿日時:2018年12月16日  カテゴリー:自分史  タグ:なし
FMきららコミュニティラジオ「遊悠 ありがとう企画」
担当:合同会社優悠 デイサービス幸せの種 今田千恵美
ゲスト:末永写真舘 三代目館主 末永輝清
放送日 2018年(平成30年)12月14日friday.20:00~20:55.
20:00オープニング曲 糸/中島みゆき ①ゲストの紹介 ②宇部カウントダウンフェスティバルについて ③認知症エピソード
20:15. M1[リクエスト曲(1)]Passion/深町 宏…2thアルバムNo.10. ⓷【写真館の醍醐味】
20:30. M2[リクエスト曲(2)]STEP/深町 宏…2thアルバムNo.1.⓸【お母さまを介護しながら旅行での所感】
20:45. M3[リクエスト曲(3)]Tear/深町 宏…2thアルバムNo.8.⓹【介護者の旅行への提言】
20:54.エンディング
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FMラジオ生放送 初体験でした。楽しかったです。
声をかけて下さって、有難う御座いました。
????M.Kさん→お疲れ様でした。末永さんのFB投稿、今、出て来たからもうラジオ 終わってた〜
????末永輝清→M.K さん 帰宅してから、仕事をして深夜に日記のつもりでupしましたが、
最近は文字を打つにも一文字ごとに凄く時間が掛かるのでiクラウドだったかに移動するシステムにクリックしてみました。
投稿してもなかなかupされないのでダブったりもしていましたので、速度が極端に減速中のようです。
ところで昨夜のFMラジオ生放送は、 お隣の宇部市エリアだそうですが、 声を掛けて下さり 即答させて頂いての昨晩でした。
急だったので、ピンチヒッターでしょうが それでも有り難かったです。
録音して頂いたCDを後日 手元に届きましたら、少し声というか雰囲気だけでもfacebookや私のhome page内のblog欄にでも保存したいと思っています。
(そのような操作が自分に出来るかどうかは分かりませんが)
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半世紀ぶりの同級生に会ったその翌朝に、
国際ロータリーの会合でたまたま隣の席になった 昔から懇意にしているロータリアンからの誘いでした。
その翌朝には、全く別のところから 新たな仕事の問い合わせがあり、
次の日にお会いして、昨日注文の返事がありました。
私でないと出来ない事ですが、見込まれることは 生きている事が実感出来て、
生きる歓びに結び付くような状況に感謝しています。
半年前に10年間共に暮らした私の母を亡くして私の心に大きな穴が開いて空虚感がただよっていましたが、
それは 50年振りの再会がもたらした夢の様な出来事でした。
半世紀ぶりの感激にともなう副産物のようなものを感じる事が出来て、
不思議な喜びに遭遇したこの1週間でもありました。
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これまでに 自分の晩年の生き甲斐を、詩吟やジョギング等々随分探したりもしましたが、
私のDNA運命には苦労性なのか
仕事といっても今の私の健康状況に合わせた仕事が出来る環境が 最も現実的な自分の生き甲斐のように感じます。
⭐️M.Kさん→末永輝清 さん。仕事が生き甲斐だなんて素晴らしい事だし末永さんにしか出来ない仕事でもありましからこれからも頑張って下さい。
悔いのないように。
????末永輝清 →M.Kさん 天職の中に自分の生き甲斐を見出す事が出来れば、
いろんな工夫も色んな苦労もやり甲斐に転じて、
楽しみや熱中する姿に第三者に見えるように思います。
そんな姿に共感するDNA(運命)同士が出会って、生涯の伴侶に発展するように感じてきました。
仕事が出来なくなると、魅力が無くなると、 それでも一緒にいることは、
やがて忍耐の愛 諦(あきら)めの愛へと変化の道を辿(たど)っているように感じてきました。
それは、夫婦における慈悲(じひ)の愛、労(いたわ)りの愛なのかも知れません。
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先日のインタビューの打ち合わせで、
三代も続いている秘訣のようなものを聞かれました。
私の父からは、職業は時代と共に変化するものだから、
写真館を変える時のために二階の和室の畳を上げたらピータイルになっているのでとのことでしたから、
推して知るべしです。
しかし、
副業や転職や、また テナントとして空いた建物を活用してくださる方との出会いがないまま今日に至りました。
もし、我が家にその家業の継続の秘訣があるとすれば、
っと思って、お話ししたことは、
私の母が25年前に自費出版した本の中にある事を紹介させていただきました。
それは、
私の祖母が自宅の前の畑で転けて骨折して寝たきりになった際、7年間姑を私の父と共に看させてもらった事でした。
私も、私の妻と共に10年間、
車椅子生活になった私の母を看させていただく事が出来ましたが、
そんな人としての基本的な生き方が、職業にも現れるような気がしたからでした。
そんな話を、早口でしたが、旅行に引っ掛けて、旅行中に1度も転倒しなかった事に引っ掛けて、
人が人物を撮影するという営業写真舘という家業の継続の要因『⓷【写真館の醍醐味】』のようなものの心当たりを探して頂くような発言をしてしまいました。
その人となりを知り、その人の希望をその写真の背景に写したいと私は願って今日まで生きて家業に対峙してきました。
この世に生まれた時に既にDNA(運命)に備わっているセンスというか美意識が大きな役目を担う職種だと思っています。
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⓷【写真館の醍醐味】
*撮影者の感性 人生観 生き様等が被写体の背景に醸し出される。
それは機材の善し悪しや性能等に関わらず撮影者の持って生まれてきたDNAであり生涯変えることが出来ない運命的な切ないものだと考えています。
現在は、見た目だけというか見かけ優先社会故に、
科学技術の開発に伴う機材の性能とともに、
人間の五感や人間その人なりの文化が科学の進歩と反比例して退化しているグローバル社会が急速に形成されて来ました。
現在の写真は、そのことを如実(にょじつ)に現し(れ)ている現象だと考えています。
本物とそうでないもの。
人間に例えれば、
訓練やマニュアル化された人が溢(あふ)れて、その人の本質や本性等を判断しずらくなるとともに、
その双方の五感や文化が揺らいでいるために、
出会いに伴うお互いの感性のミスマッチによるスレ違い現象が定着している社会になってしまいました。
*私は、肖像写真を通して御客様(被写体)の人生のアイデンティティというか、
自分の本質をみつめるというか その人ならではの文化を育(はぐく)まれるお手伝いになればと考えています。
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⓸【お母さまを介護しながら旅行での所感】

 

先ずは、夫々の生い立ちからの事に遡(さかのぼ)ってしまいます。
*旅行中は私の母とその長男の私との共通する人物である私の父親を偲(しの)ぶ旅でもありました。
例えは適切でないかも知れませんが、私の母の旅行中は「火事場の馬鹿力」的なというか驚異的なエネルギーというか、
奇跡的な事が度々起きたり再現したりしました。
例えば、
クライストチャーチのホテルのロビーでの生演奏による新年を迎えるパーティinニュージーランドや
ソシエテ諸島クルージング(ポールゴーギャン号)inポリネシアや
オアフ島のダイヤモンド裏側に位置するホテルのレストランinハワイ諸島等々での奇跡。
それは、車椅子の母へダンスをエスコートされた際の私の母の行動でした。
なんと、私の母は自力で立ちあがってしかもダンスを踊るのです。
私の母が姿勢を正して何十年も若返ったかの様に軽いステップを踏むのです
*私が奇跡と信じること。その事を自慢として受け止められがちな今の超高齢社会の日本国。
私が学問的に論文にまとめたいと思う切っ掛けとなった出来事でした。
世界中で一人でも私達親子に共感くださるかたがおられれば、亡くなった私の母も浮かばれると思っています。
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⓹【介護者の旅行への提言】
13年前に、私の長男と次男たちに山口県美祢市美祢駅前通りに位置する末永写真舘本館を任せて、
私の母との同居を踏まえて設計し山口市大内御堀に新築した自宅兼末永写真舘。
10年前に私と私の妻と私の母親との同居生活を始めました。
*嫁と姑のお互いの時間を大切にする為に、私は 嫁と姑の交互に異文化を訪ねる事にしました。
平生往生(へいぜいおうじょう)という言葉通り、日頃の生活の中に全ての要素が凝縮されているように思います。
例えば、ほんの一例ですが、私の母が人に会う訳でもないけれど ましてやパーティに行くわけでもありませんが、
私の場合は私の母のリハビリを兼ねて、毎月 美容院へ送迎しました。
高齢の為徐徐に歩行困難状況に成りますが、スロープのある美容院をケアマネージャーに尋ねたことがありました。
市役所の福祉課へ尋ねるように言われ、そこへ尋ねるとそのような統計は取っていないとの事でした。
私の母を車に乗せて自分で探すことにしました。
*スロープがあってトイレや女性店員さんの高齢者への介助の仕方と言うか高齢者の気持ちに寄り添える心を持っているかがその判断の中心になりました。
*毎日三食に伴う薬の事や車椅子移動に伴う排泄介助や着替えや入浴介助等々
デイサービスやショートステイや施設や病院等の他人による職業としての介護介助勤務時間体制とは異なる
24時間介護介助という現場を共にしている親子である必要を感じています。
*世界遺産の前で嬉しい表情をして写っている写真の背景には、
それなりの親子の修行僧のような高貴な節制生活の積み重ねがあるからに他なりません。
介助旅行での達成感のようなものこそが、日々のリハビリ生活のその目標となっているように思えてなりません。
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私は、30年前の30歳代後半から山口県美祢市大嶺町の民生児童委員を10年6カ月勤めさせていただき、他人のお母さんたちを看させて頂きました。
17年前に私の父が亡くなり、私の母は7年間独居生活後、私の従兄弟(私の母の兄妹の内の3姉妹の長女の長男夫婦)の勧めもあって、山口市大内御堀の自宅で私の妻と同居生活をはじめました。
*私の心の強い支えとなっことは、
責めて その民生児童委員を勤めた10年半よりは1日でも長く自分の母親を看させていただきたいということでした。
. 山口県山口市大内御堀六丁目3番1号 (仁保川沿/県立山口中央高等学校&水道局隣)
末永写真舘 三代目館主 末永輝清(69歳)
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山口県美祢(みね)市美祢駅前通り 末永写真舘美祢本館は四代目の長男と次男等が担当しています。