[364]あれから間も無く半世紀 For half a century from that

投稿日時:2018年12月22日  カテゴリー:自分史  タグ:なし

【あれ(このモノクロ写真)から間も無く半世紀】(昨年2017年平成30年)12月21日facebookに投稿したものを移行しました)

私は、家業を継ぐ為に期待されて第一子としてまた長男として生まれてきました。

そして、定められた運命の営業写真の道を ひたすら脇目も振らずに歩いてきました。

あっ という間の人生でした。

そして、天職としての職業を目指して&従事して 間も無く50周年記念という節目を迎える歳になります。

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今日の母との会話の中には、「母の90年の人生の内 約10年間は、従兄弟(母の姉の長男)夫婦の勧めもあり、私の母(当時81歳)と私(当時59歳)たち夫婦と同居生活でしたね。」っといったことがありました。

そして、私の父が元気だった頃に遡って、「夫婦(両親)で約10年かけて世界中の先進国を旅行✈️したーね(しましたね)。」

同居を始めた頃、「御母さんが嬉しそうに ナイヤガラの滝の話をすることを聞いた時、

御母さんが元気なうちに世界三大瀑布の残りの2つを訪ねることが発端で、

地球儀を見ながらの 壮大な車椅子世界旅行計画となったよね(なりましたね)。」等々の会話をしました。

それは、結果的に嫁と姑の夫々の時間を大切にすることも兼ねた形になりました。

そして、母の幸福感&寿命感&平和(戦争)感&敬愛(父)感等々を訪ねる旅でもありました。

私の母とは、車椅子世界一周介助旅行を始め年間2度のペースで旅行✈️する事は取りも直さずそれは 私の父を偲ぶ旅でもありました。

そして私の妻とも、国際ロータリーの年次大会出席に合わせて世界一周旅行を始め年間2度(私は、母とは交互になる故年間4度)のペースで旅行✈️により、

世界の文化や風に触れ、グローバル社会化に於ける異文化の共生等、積極的に感性を磨いて来れたことは、

日頃の質素な生活習慣を身に付けるDNAを下さった両親や御先祖様をルーツに持てたということに他ならず、幸運でした。

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私は、約半世紀前後の昔に共に学んだ友が、どんどん亡くなっていくという(ある一面)寂しい年齢になりました。

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今年は大阪時代の友が8月下旬に、

そして東京時代の友が12月9日saturdayに、

山口市経由で訪ねて来られた際に夫々約20年振りに再会を果たした年でもありました。

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そして、私が学生時代に撮影から仕上げ迄全て自分で制作した このモノクロ写真(モデル:被写体は、奈良のKei..Yosi..さん)のように、

約50年経過した今でも 色褪せるどころか、

年齢を重ねてからも どんどん当時の日本写真専門学校営業写真学科の学生時代の頃を彷彿させるところの、

私にとっての写真を職業にする(家業を継ぐ)上での原点ともいえる全紙パネル張り写真です。

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時代がその後、カラー写真へ、そしてデジタル(風的な内容の写真がインスタグラム等々を介して世界中に氾濫)へと変化を極めて来ましたが、

矢張り、約半世紀前の当時の写真には敵わない何かがあるような気がしてなりません。

人の生活習慣が非常に過酷になり、人の神経や社会が病んで、交通事故を超える自殺者数を数える程の時代と共に、

お隣の国の原子爆弾の恐怖と共に、少子超高齢という国家存亡の危機に突入して随分となりました。

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山口市大内御堀991-2(仁保川沿/水道局隣)
末永写真舘(山口新館)三代目館主 末永輝清(68歳)
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(山口県美祢市美祢駅前通りの末永写真舘 美祢本館は独身の長男と次男たちが担当しています)
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[photo/2017.12.22.thursday.冬至]